『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.96 改めて正しい歴史の検証を!

投稿日:2024/11/29 投稿者:大西秀憲

私は高知空港に行こうと誘われるが行かない、なぜなら高知空港が嫌いだからだ。
なぜ高知嫌いかと云うと空港の名前が「高知龍馬空港」だからだ。つまり私は坂本龍馬が嫌いなのだ。
最近の風潮として龍馬を英雄視する。 ・・・言っておくが、彼は決して巷云われるような英雄ではない
司馬遼太郎が新聞小説に書き、後に出版された痛快時代小説「竜馬がゆく」がベストセラーとなり、ブームとなった。
これで一躍表舞台に現れ坂本龍馬人気となった。
(それまで坂本龍馬の名は世間ではほとんど知られていなかった)

おそらく司馬さんは日本人が戦争に負けて落ち込み、自信を失っているのを元気付けようとヒーローを登場させたと思う。
とにもかくにも、巷の「坂本竜馬」は小説である。
司馬さんは歴史上の人物と読者が混同しないように、わざわざ「坂本竜馬」とした。
・・・本当の名前は「坂本龍馬」である。
しかし読者も世の中も見事に小説を歴史上の人物(つまり真実)と捉えたのである。

その結果、小説の中だけの「竜馬」が表舞台を大股で闊歩するようになった。
勢いをかって小説は映画化され、そしてNHK大河ドラマでも放映され、歴史評価が完全に定着した。
現在の人々が云う「いま龍馬が生きていたら、きっと世の中を変えてくれる」と。
いつの間にか、小説と映画とテレビの影響で彼は英雄になってしまったのだ。
あの世で司馬さんは現状をどう思っているだろうか?
たぶん司馬さんは「あれは竜馬と云う小説だよ、だから龍馬とは違うんだよ!」と云われるだろう。

実際の坂本龍馬は何をしたか? ・・・(小説の中で活躍しただけだ!)
土佐を脱藩してから何をして「飯を喰っていたか?」
・・・生きて行くには金がいる。(今も昔もそれは変わらない)
彼の行動範囲は実に広く、正に東奔西走していた。・・・それは、武器の営業活動だったのだ!
・・・ではその金はどこから出たのか?
要するに龍馬は「無職・住所不定」の男である。
飯を喰うにも、酒を飲むにも、旅籠に泊まるにも、好きな「シャモ」を喰うにも、全てに金が必要である。
それが三日や10日ならともかく、何年も続くのである。
・・・皆さんも、どこかの誰かから金を貰い、毎日毎日プラプラ旅行して暮らせたら楽しいと思うでしょ!!

司馬さんは小説の中では龍馬に関する極めて重要な事実を全く書いていない。
重要な事実とは、一言で云えば龍馬の正体は「武器商人」の営業担当である。
・・・司馬さんは当然この事実を知っていたと思うが、ヒーローにブラックは似合わないので書かなかったのだろう?
世間では武器商人を「死の商人」と云って、忌み嫌い軽蔑される、そして絶対に尊敬などされない!
(特に日本人の戦争嫌い、武器嫌い、潔癖症、純粋無垢な国民性から見れば、死の商人は絶対に受け入れられないはずだ!
・・・ところが日本人は「無類の龍馬好き」である! こんな矛盾はないであろう!!

長崎に「グラバー邸」と云う建物がある・・・トーマス・グラバーの邸宅であり、庭には「フリーメーソン」の碑がある。
彼は何者か?
グラバーは「イギリスの武器商人」であり「ジャーディン・マセソン」の日本支店長である。
イギリス政府の意向で「軍艦・大砲・小銃・弾薬・等々」ありとあらゆる武器と物資を一手に扱う「政商」であった。
日本の徳川幕府も、薩摩も、長州も、土佐も、肥前も、長岡藩も、会津藩も、全てここから武器を買った。

世は正に動乱期、幕府側にも反幕府側にも武器を売り、結果は「日本人同士が戦う」のである!
・・・グラバーは自分達が売った武器で日本人が幕末・明治維新と云う戦争を演出し、とにかく面白い程儲かったのだ。
グラバーの「手下・営業担当」として実際に「武器の商談」や「納品」を担当したのが坂本龍馬である。
面白い程儲かり、仕事が増えたので一人ではさばき切れず、作ったのが「亀山社中」だ。
ならず者、無宿者、脱藩浪人、とにかく誰でも雇い入れ、一説では40人ほどが居たらしい。
(主に人足として荷役に使ったが、ほとんど暇だったから近くの丸山遊郭に入りびたり、酒と女と博打で過ごした者達である)
・・・従って、とてもじゃないが亀山社中は日本初のカンパニーだと云うには非常な無理がある。
ともかく、これらの輩が「海援隊」の名の元に、東奔西走し船で「武器弾薬」を大量に輸送して、売り渡したのである。

龍馬が注文を取った最新式の銃は飛ぶように売れ、そしてその銃で「日本人同士が殺し合い」を繰り広げたのだ。
坂本龍馬が幕府から「お尋ね者」として追われたのは「反幕府勢力に武器を調達していた」からである。
・・・幕府を転覆させようと企んだ訳ではない
最も悪いのは「イギリス政府とジャーディン・マセソンとグラバーであり」龍馬は首謀者ではないが、重要な役割を担った。
相反する勢力のどちらにも武器を提供するのは、現在でも世界中で先進国がやっていることだ。
・・・しかし、これは一番汚いやりかたである。
これで多くの日本人が死んだ ・・・なぜ龍馬が素晴らしいのか? なぜ彼が英雄なのか? 私には全く分からない!
(小説と現実を足して2で割るような事をするから、こんな人物を持ち上げて評価するのだ!)

何を云うか! 龍馬は薩長同盟を実現して、引いては明治維新を成功させたではないか! と云う声が聞こえる。
それは大きな誤解である。
日本の為に同盟を斡旋したのではない。
当時の長州(今の山口県)は幕府から長州征伐の命が出ていて、そのため最新式の武器が欲しかった!!
しかし当時の長州は金なく、購入ルートなく、困っていたのだ。 但し、米だけはあった。
そこで米を薩摩が買い、最新式の武器を「注文者:薩摩、納入先:長州」で売買が成立した。
この商談を実行したのが「龍馬」である。
・・・龍馬が運んだ「最新式の小銃と大砲」により、幕府軍を打ち破り、長州が戦争に勝利したのである!!
この武器による長州の勝利により薩摩の見る目が変わり、その結果「薩長同盟」が一挙に進んだのである。
(要するに龍馬の役割は「長州に武器を運んだだけ」である。 ・・・もちろんグラバーは儲かり、喜んだ!

何を云うか! 龍馬の「船中八策」があるではないか! との声が聞こえる・・・
あの有名な策は龍馬が考えたものではない!!
「船中八策」は、龍馬と同郷の「中岡慎太郎(陸援隊隊長)」が唱えたものである!!!
・・・中岡慎太郎は非常に優れた「政治家」タイプであった。
惜しむらくは、中岡は龍馬と共に京都の旅籠「近江屋」で襲われ、亡くなった。(龍馬はほぼ即死)

下手人は、龍馬も中岡も顔なじみの「薩摩藩士」又は「長州藩士」であると私は思っている。
なぜなら、この刺客に両者は全く警戒をしておらず、対面してからいきなり「居合抜き」で切られたため両者は抜刀なしだ。
更に、中岡は約2日程生きており、取り調べに色々と答えている。
事情聴取したのは土佐藩士の「田中光顕」で、彼は極秘情報を得て、その後この極秘情報をネタに新政府を脅しで出世した。
そして華族(伯爵)になり、のち警視総監、貴族院議員になった。

つまり、まだ生きている中岡の口から出た名前は「刺客は〇〇である」と云う極秘情報であった。
この情報で薩摩・長州を脅し、土佐人の田中だが「明治の薩長政府」で破格の出世をして昭和14年まで生きた。
要するに「薩摩・長州」とは考え方と路線の違いが顕著になり、龍馬が目障りになったので邪魔者を消したのである。
(京都見廻り組がやったと云う説があるが、私はそれは違うと思っている)
なぜなら、もし幕府側がやったのなら、田中光顕は中岡から聞いた事実を即刻公表したはずである。
・・・従って、実行者は幕府側ではない!

龍馬が居なくなった後、グラバーが重用したのが土佐の「岩崎弥太郎」である。
岩崎は武器商人と「政商」の才能を見事に発揮して、見る見るうちにのし上がっていった。
特に莫大な財産を手にしたのは「西南戦争」の兵員輸送と武器・糧秣の輸送によってである。
とにかく大量の船舶の払下げを受け、「三菱の基礎」を創った創業者である。
・・・面白い事に、後年グラバーは三菱の顧問に就任した。
(今でも三菱は船舶と軍需産業(武器=戦闘機・戦車・ミサイル など)がその基幹である。

後世のために歴史を正しく検証して正すべきは正し、小説と歴史事実を明確に分離しなければならないと思う。
要するに小説で云うほど「坂本龍馬は立派な人間ではない}、いろは丸事件を見れば、その悪人ぶりが良く分かる!
(同事件で、紀州藩に対して行った「恐喝、脅迫、ゆすり、たかり」など、本職のヤクザよりタチが悪いではないか!!)

今はまだよいが、100年も経てば「小説坂本竜馬」が学校の教科書になるかもしれない?
その内、良識がある人達によって正しい評価が下されて、従来名称の「高知空港」に戻れば愛機で訪問したいと思う。

 

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。