『やってみなわからん!』-私の体験-

No.15 第4章 (売れない)販売

投稿日:2010/05/31 投稿者:大西秀憲
前号ではテクノスジャパンの「販売元年」について書いた。

ところが、徘徊コールの課題は販売だけではなかった。
製造上、技術上の課題があった。
製造上の課題は「センサー」であり、技術上の課題は「ナースコール接続方法」であった。
平成13年からセンサーをテープスイッチからPVC一体型に切り替えた。
・・・表に溝があり裏が黒いマットスイッチがそれである。
製品らしくなった「徘徊コールⅡ」の誕生である!
これは、製造コスト・品質の安定・供給の安定・そして製品としての価値が切り替えの狙いであった。
(3年程の検討期間を経て切替をしたが、S社の瀬下氏(現S社・営業部長)の熱心な営業と熱意があったからだ)

さらに、技術上の課題は並列接続による無加工化である。
・・・コンソールを送り、加工するには限度があり、事業としては成り立たない。
従って、コンソール無加工による製品化が必要である。
要するにアダプタを設けて、並列接続するのである。
これを多種開発し「中継BOX」と名づけた。・・・現在は他社が「まね」をしているが、この発想が弊社の特長である。
これによって急激に販売が伸びた。

しかし、またまた問題が出てきた。
センサー部が汚れやすい、滑りやすい、折り畳めない、などの現場の声である。
・・・使用していた線材にも問題があった。
そこで、また日夜考えた・・・
そして完成したのが「徘徊コールⅢ」である!
・・・これは汚れ難い、滑り難い、折り畳みOKをクリアー、そして「独自開発のケーブル」を使用した。
(これはほぼ現在のマットスイッチMS1200と同じ仕様と品質である。)

マットスイッチタイプの製品化がほぼできたので次に考えたのがシリーズ化である。
製品は必ずメニューを増やさなければならない。
・・・ベンチャーが素晴らしい技術を持ちながら「1製品」で終わる多くの例がある。
とにかく、多種多様な同類製品を揃えることに専念した。
製品は人が選ぶ。
そして人は(価値観は)多種多様である。
従って、製品も(目的は同じとしても)多種多様を揃えて「選択」してもらうべきである。
このような考えで、センサーを次々に増やして、そして「製品の数」がどんどん増えていったのである。
最も重要なことは事業全製品の全体像を描いた上で、個々の製品を考えて製品化することである。
・・・絶対に「葉っぱ」を描いてから「木」を描いてはいけない!

これはやれる!と確信したのは平成14年である。
・・・前年暮れに(天の声が聞こえて)北条の16坪の賃貸事務所から三左衛門の有交ビル25坪に引越しをした。
家賃が増えて払えるか心配したが、引越してから急に注文が増えて忙しくなっていった。
そして平成15年が「創業10周年」に当たるので「ここが勝負どころ」と考えた。
思い切って「4名」の人材を採用した。
・・・とにかく、事務職の採用は創業10年経って実現したのである。
(それまで創業以来10年間は、販売管理・経理・給与・庶務・総務・その他一切の事務は私が行っていた)
人を採用した事は大正解で、おかげで私は「開発に専念」できるようになった!

そこで私は次のテーマ「コードレス」に集中することにした。
自己資金では足りないので「兵庫県・新産プロ」に応募して運良く認定され、公的資金が使えることになった。
公的補助金に応募し、実行するのは「事務パワー」が不可欠である。
そこで前述の事務職採用が正解だったのである。
このようにして、未だ誰も考えなかった離床センサーの「完全コードレス化」は平成16年に出来た!
・・・たぶん、社員の多くは「コードレス」を半信半疑で見ていたと思う。
そして販売を強化するため平成16年7月に「東京支店」を開設した。

センサーの「コードレス化」の意味は大きい。
それは他社との「差別化」である。・・・簡単には出来ない発想と技術が、そこにはある。
これによって、例えば「コールマットコードレス」などコードレスシリーズ製品がラインアップに加わった。
平成17年に作成した「離床センサーカタログ」は総合版として豊富な製品を掲載した。
ここに売るための「弾」が整ったのである。
・・・弾が無ければ戦はできない!弾が揃ったので次のステージである「戦(営業攻勢)」へと進むことになる!

4章 完

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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