『風の見える朝』

No.94 技能オリンピック

投稿日:2008/02/13 投稿者:大西秀憲
「技能五輪(技能オリンピック)」についてご存知でしょうか?
2007年11月、技能オリンピックが22年ぶりに日本で開催された。
静岡県沼津市で開かれた大会には4日間で27万人の観客が押し寄せたのである。
今、この大会にはそれだけ熱い視線が寄せられている。
つまり、社会的な関心が高いのである。
技能オリンピックは文字通り「技能」を競う国際大会である。
この大会は59年の歴史がある。
「技能の種類は47種目」あり、其々の種目別に「22歳以下」の若者達が技を競うのだ。
今回、日本は51人の選手を大会に出場させた。
目的は只一つ「金メダル」の獲得である。

技能オリンピックの名前が示すように、スポーツのオリンピックに比して付けた名前である。
当然国際レベルの技の競技であり、メダル獲得に国の威信をかける。
例えば韓国はメダル獲得(特に金メダル)を「国家戦略」と位置づけている。
国が10億円の予算を組み、高校卒を鍛え上げるのである。
韓国ではメダルを獲得すれば「600万円」の賞金が支給される。
だから、若者は一心不乱に「技能の熟練」に励むのである。
今回の大会で注目された競技種目が二つある。
一つは「抜型(金型)」部門である。
この部門で韓国は10年間連続して「金メダル」を獲得している。
それだけに、この種目に対する力の入れ方は尋常ではない!
韓国では、熟練した技能者は「ロイヤル・ブルーカラー」と呼ばれ、尊敬される。
国も力を入れるし、産業界も、そして若者も、それに応えるのである。
そのような空気が国全体に出来上がっているのである。

日本はどうであるか。
近年、日本は再び技能五輪に力を入れ始めた!
熟練した技能者の存在がやっと再評価され始めたのである。
(昭和30年代、40年代、技能五輪は日本の独壇場であった)
今回の種目で期待された選手が二人居た。
一人は「抜型(金型)」部門の「安達 裕喜選手(22歳)」である。
もう一人は「ポリメカニクス(精密機器組立)」部門の「畑 弾手選手(21歳)」である。
この二つの競技は技能五輪の中の技能五輪と云われるほど競争が熾烈でレベルが高い。
要するに種目のエースである。
想像を絶する難題をテーマに4日間戦い抜くのである。
戦う相手は「自分とミクロンと時間」である。

抜型の安達選手は非常に冷静な戦いで見事「金メダル」を獲得した。
これは10年ぶりに日本が獲得した金であった。
安達選手は7年間、技能五輪の訓練のみで、正に青春をかけたドラマである。
ポリメカニクスの畑選手は「セイコーエプソン」の社員である。
同社では技能者の重要性に覚醒して5年前に「ものづくり塾」を設置した。
全社から選りすぐった11名の若者を「団塊世代」のベテラン技能者が鍛える。
なぜなら、団塊世代が退職すれば、技能の伝承が不可能になるのである。
日本の高度成長と世界一の製品を作り上げたのは「団塊世代」の力が非常に大きい。
金型部門に次ぐ難関は、畑選手のポリメカニクス部門である。
内容は実に多岐に亘る。
「金属加工」「組立」「シリンダー+モータ制御」「プログラミング」などが含まれる。
そして畑選手は期待に応えて見事「金メダル」を獲得した!

日本で「ものづくり」が盛んだった高度成長期、メーカーは技能競技に力を注いだ。
その最高峰が技能五輪であった。
ここで「金メダル」を獲得することは、即「メーカーの実力」と評価された。
だから、メーカー各社は目の色を変えて技能者の訓練を行ったのである。
また、もう一つの理由があった。
昭和30~40年代、メーカーは生産に使う設備は自社で設計・製作したのである。
つまり、自社内に「設備部隊」を有していたのだ。
従って、メーカーの製品品質とコストは自社の設備部隊の「実力」で決まったのである。
だからメーカー各社は設備部隊のノーハウを最高機密とした。
この基礎になるのは熟練した技能者の「腕」であった。
この「腕」の証として「技能五輪」の金メダル獲得に力を注いだのである。

私は昭和45年にN社に入社して配属されたのが「工具課・設備設計係」であった。
要するにN社の「設備部隊」である。 ・・・大所帯であった!
この課には当然ながら技能者部門があった。
若い人が多く、その中から選抜された人を徹底的に訓練した。
・・・素質と才能を持った人を見出すためである。
多くの訓練生の中から、選ばれた精鋭がまた格別の訓練を受け、技能五輪に出場できた。
・・・素質と才能が無ければ、絶対に技能五輪には出場できない!
多くの若者は15歳(つまり中学校を卒業すると)で入社し、厳しい選別を受けたのだ。
「技能者」の訓練は15歳程度から始めるのが良いと云われる。
私がN社に居た頃、毎年春になると「クリクリ坊主」の子供の様な若者が多数入社した。
会社はこの人達を徹底的に訓練し、立派な技能者に育て、無形の財産としたのである。
私が関係した「部隊」の隅に「展示ケース」があり、そこに作品が多くあった。
全て技能五輪「メダル獲得者」の作品であった。
・・・見るだけで、ほれぼれする、神業に近い素晴らしい五輪作品であった!
私は多くの金メダル保持者と交流があったが、皆一様に「謙虚で紳士で寡黙」だった。
会社の高度成長は、この人達が支えたのである。

ところが、昭和50年代半ばからガラッと「様子」が変わった。
生産設備は設備専門メーカーに任せ、技能者も不要と言い出したのである。
あげく「ものづくり」はダサイ!、これからは「ソフトウエア」だと大転換をしたのだ。
日本の多くのメーカーが、このように転換をした。
その結果、あれだけ大切に育てた熟練技能者を容赦なく配置した。
ひどいのは、会社の宝石のような五輪メダリストを、僻地の営業部隊に配属したりした。
・・・そして設備部隊は、バラバラに解体され、姿を消したのである!
解体するのは瞬時である。
しかし、高度の熟練技能者集団を作るのは、何十年とかかるのである!
案の定、それから20年ほどしてN社は経営がおかしくなった。

日本はアメリカのように「戦略立案と実行」が得意でない。
またマネーゲームや商売も得意でない、そして資源もほとんどない。
中国人と同じ土俵で勝負しても絶対に勝てない!
日本人の本質は「勤勉と器用さと優秀」であることだ。
「ものづくり」こそ日本が、これからも地球で生きていくための唯一の手段である。
私は、これしかないと思う。
11月の技能五輪に22万人もの観客が押し寄せた背景には、危機感が大きいと思う。
やはりもう一度「ものづくり」立国にしようよ!と云う熱意が表れていると思うのだ。
この意味で、もう一度技能者の育成に力を入れ始めたことは素晴らしい!
現在、世界の生産工場などと云っている中華人民共和国であるが、永く続かないだろう!
あと10年から15年の間に、同所に進出したメーカーの多くが日本に引き上げるだろう。
必ず、そうなると思う。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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