『風の見える朝』

No.99 私と紙芝居

投稿日:2008/08/27 投稿者:大西秀憲
いつか書こうと思っていたが機会が無かったので、ここで紙芝居について書く。
私は趣味で紙芝居を創って実演している。
「なぜ?そんなことをするのか?」とよく人に聞かれる。
「したいからするのです・・・」と答えることにしている。 ・・・これは事実である。
私が紙芝居を始めたのは1995年だから、もう13年になる。
紙芝居と云っても私のは「歴史紙芝居」なので、面白くも可笑しくもない。
保育園や幼稚園の人から「喜ぶから、ぜひ園児達に」と頼まれるが、丁重に断っている。
・・・園児達に歴史が解る訳がないのである。
ともかく、若いときから歴史が非常に好きだったが特別深く勉強した訳ではない。
・・・どこにでもいる普通の歴史小説好き人間である。

一番最初に創った紙芝居は「姫路城ものがたり」である。
これは姫路城がまだ「砦」だった1300年代から現在までの「城の歴史」を創作した。
室町時代から現在までの歴史は約660年である。
・・・因みに、現在の姫路城は築城約400年の歴史がある。
紙芝居は660年を14枚にまとめた。
上演時間は約25~30分である。
つまり、僅か30分程で、660年が体験できるという「趣向」である!
最初の上演は「姫路城」で行うと決めて、1995年の秋からスタートした。
紙芝居の対象は「観光客」である。

姫路城に来る(登閣する)観光客は、年間約100万人である。
そのほとんどが春と秋に集中していて、シーズンには一日約15,000人が来る。
この人達に紙芝居で「姫路城を紹介しよう」と考えた訳である。
・・・観光客はほとんど予備知識を持たずに訪れる。
日曜日に上演すると予想以上に多くの人がすぐに集まる。
終わってから、少し喋る時間があるので感想を聞いたりする。
その結果解ったことだが、実に遠方から来ている人が多い。
また、面白いことに観光に来て「姫路に泊る人はほとんど居ない」ことが分かった。
姫路城で上演するのは、天守閣を背にして「三の丸広場前の通路」である。
ここでやっていると実に多くの事実が分かってくる。(見えてくる)
・・・団体客は紙芝居を見ない。

とにかくガイドの旗に忙しくついて所定の行動をとるので、全く時間がないのである。
もっと面白いのは、城に来て城を見ない観光客が沢山居ることである。
大手門を入った所に、写真撮影を生業にしている人が居て、撮影台が常設である。
団体で忙しく入ってきて、全員が「撮影台」に並び、忙しく写真を撮る。
そして終わるや否や姫路城に「背を向け」、ガイドの旗の下、全員が去っていく。
・・・この人達は一体何をしに姫路城に来たのだろう?と思う。
とにかく、このような摩訶不思議な行動をする観光客?が実に多いことが分かった。

そのような訳で、紙芝居の対象となるのはフリーの観光客である。
「いやア!実によく城が解った!ありがとう!」などと云われると、つい嬉しくなる。
歴史は「人の営み」だから必ず訳がある。
なぜ?ここに城を造ったか?
なぜ?姫路城はこんなに大きくて美しいのか?
西国将軍と云われた池田輝政を主人公にした紙芝居が「姫路城を造った男」である。
この紙芝居を見ると訳がよく分かる。
全て理由があるので、これを説明すると「ストンと納得がいく」らしいのだ。
・・・歴史嫌いの子供が多いと聞くが、年代だけを暗記させるから嫌いになる。
本当は歴史ほど面白いものは無いと思うのだが・・・

その他に創った紙芝居は5作ある。
例えば、姫路藩の名家老「河合寸翁」の物語は大作である。
この絵は友人の故「成井氏」が遺してくれたものであり、時代がよく描かれている。
非常に難しかったが「宮本武蔵」を創った。
この絵は友人の「田中稚芸氏」が描いたものであり、かわいい武蔵に仕上がっている。
紙芝居創りで一番難しいのは「ストーリー」作りと時代考証に基づく絵である。
しかし、このストーリー作り(構想)の期間が最も楽しい時である。

最後に、西の比叡山と呼ばれる「書写山・円教寺 性空上人 物語」の絵を紹介する。
絵は「成井次郎氏」の作品である。

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モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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