『やってみなわからん!』-私の体験-

No.7 第3章 開発

投稿日:2009/09/28 投稿者:大西秀憲
前章 「2.何をするのか?」では、事業分野を特定するまでについて書いた。
本号では、具体的に開発する製品の特定について書く。

事業分野を決めるのも非常に難しいが、決めた事業分野で具体的に「製品」を特化するのも、それ以上に困難だ。
とにかく、「全身をアンテナにして」自分で考えねばならない。
これは、知人・友人や人脈ネットワークで聞く訳にはいかないのである。
・・・なぜなら「世の中に無い物」を開発するのだから、人に聞いても絶対にヒントにも参考にもならない。

とにかく自分で、考えて、考えて、を繰り返しているとついには「夢」に出てくるようになる。
(私はこれを「神のおつげ」と思っている)
ある夜、鮮やかに夢で見たのが「音声会話装置」である。 ・・・たぶん意識として固まりつつあったのだろう!
なぜか私の父(6年前に亡くなっていた)が「弁当箱」ぐらいの物を両手で持ち突然、これを作れと云った・・・
「それは何じゃ」と私が聞くと、「声が出ん者が話しする機械じゃ!」と云って、夢が終った・・
私は「絶対忘れたらアカン」と思い、手探りで枕元の紙に「かいわ」と書いた、がこれも夢の中であった。
・・・朝起きて、見ると「みみずの這ったような字」であったが読めた。
これで、開発する物が決まった!

病気・事故等の原因で、言語障害により声が出ない人がある。
つまり、その人に代わって音声を発声して必要な会話を行う装置を開発対象と決めた。
これはタッチパネル付きの液晶ディスプレイのアイコンを指で押すと「ありがとう」などの音声が出る機器である。
開発と云っても簡単なもので、必要な機器(市販品)を組み合わせるだけで、アプリケーションソフトが新規である。
平成7年9月に試作が完成し、10月の東京・晴海で開催の「病院設備機器展:HOSPEX JAPAN」に出展した。
この展示会はメジャーな展示会で約5万人が来場、もちろん当社始めての出展であった。
「ことばの救急箱:コトバックス」と名づけた本製品は、他の展示に類なく、大変な反響と高い評価を受けた。
とにかく、用意したパンフレットは全て無くなり、そして会場を取材した記者が目玉製品として記事になった。

しかし今から思えば、雑な作りの試作品を、たった1種類・1品だけ、東京の展示会に出したのは汗顔の至りである。
ただ、このことが無ければ今日のテクノスジャパンはない。
・・・設立2年目の当社が、無謀にも中央の展示会出展を決意したのは、小林鉄工所の小林社長の影響である。
(小林社長は、姫路で鉄工所を経営しておられるが、自社開発製品を多く生み、多くの展示会に出展されていた)

これは売れるゾ!と、展示会や各種報道に気を良くして、多くの引き合いに対して出張してデモを行った。
ところが現場に行くと、実に多くの問題を指摘された。
そして、それを一つ、一つ、潰して行くのであるが、やれどもやれども全く売れなかった。
(もちろん、その間に新型を次々作って、発表したが・・・)
1台も売れずに1年半が過ぎたころ東京・武蔵野の某病院の現場で、重要なことを「ひらめいた」のである。
それは、声が出ない・出せない患者さんの多くは「手・指・足」が動かない(又は動き難い)事実であった。
「コトバックス:KOTOBAX」が売れない理由が分かった瞬間であった。

指や手が動かなければタッチパネルの画面は押せない(従って使えない)
それ以降、指が動かなくても、スイッチが押せる方法を四六時中考えるようになった。
正に、寝ても覚めても、この解決方法を考えた・・・

以下は「2.開発推進1」で書く。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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