『やってみなわからん!』-私の体験-

No.6 第2章 会社設立

投稿日:2009/08/31 投稿者:大西秀憲
前号では平成5年4月6日に創業したことを書いたが、しかし、会社としては重大な欠陥があった。
それは「何をするか?」が決まっていなかったのである。
事業が決まっていない会社が成り立つ訳がない。
ここでは「どのようにして事業分野を決めたのか?」について書く。
結論から云うと事業分野を決定するのに約1~2年かかった。
社長の仕事は「人・物・金」を都合することである。
従って、どんな事業をするか?は社長が考えて決めねばならない。
(皆で相談したり、多数決で決めるような事ではない)
私は、会社経営とは「大きな博打」のようなものだと思う。
「これをやる」と決めた事業が本当に適切な選択なのか?見込みがあるのか?全く分からずに行うからである。
これが会社の命運を分ける。
はっきりしているのは「やってみなければわからない」ことである。
自分が考えた事業を、人を都合し、金を都合(もちろん社長の個人連帯保証)するので、正に命懸けである。
現在の日本の法律では「責任は社長一人」にあり、社員には債務返済責任は全く無い。
(取締役ですら融資の個人連帯保証人にはなれない)
従って、事業は皆で決めることではないのである。・・・責任が取れない人が決める事ではない!
これから独立して経営(起業)を始める人にとって、事業分野を決める事が一番難しいと、私は、経験して思う。
このような訳で、顔は平静を装いながらも、頭の中では「何をするか?」の思考が渦巻いていたのである。
新会社がスタートしてから日夜、一所懸命に考えたのであるが、結論を出すのに長い期間を必要とした。
検討する上では、次の条件を決めていた。
1.大きな市場ではないこと。 ・・・従って、大手メーカが参入しない。
2.先発メーカーが無い(又は非常に少ない)こと。 ・・・従って、競争がない。
3.自社の固有技術で自己完結し、大きな投資を必要としないこと。 ・・・従って、リスクが少ない。
毎日、毎日、これを自問自答するのであるが、考えても考えても納得できる答えが浮かんでこない。
実際にビジネスの世界では「何をやれば儲かるか?」、誰もが一所懸命考えているのである。
更に「新参者(新起業者)」は、その人達が「考えも付かないこと」を考えねば、事業が成立しない。
しかし、そう簡単に「やるべき事業分野」が出てこないのは事実である。
このような訳で、事業分野の選定はたぶん人生の中で最大の思考だったように思う。
私は責任上、強く意識して、高い志を持ち、将来の夢を描いていたのは事実である。
しかし、現実的には「毎月経費が発生する」ので、夢を語るだけで「かすみ」を喰って生きる訳にはいかない。
1,000万円の資本金などは、それこそ「半年」で使い切って、きれいに無くなった。
入ってくる金(もちろん売上も)が無く、出て行く金ばかりなのだから、至極当然のことである。
4月に会社がスタートしてから約1年間、毎夜・毎夜、同じ夢ばかり見た!
それは「会社が倒産する夢」である。
本当に苦しい、苦しい、夢であった。・・・これが怖いから起業に一歩踏み出せない人が多いのではないか?
いよいよ通帳に金が無くなった頃、私は3人に次のように聞いた。
「金がもう無くなったが、借金してまで給料が要るか?」、すると皆は「借金してまで給料は要らん!」と云った。
その頃から、社員を採用するときに決まって云うセリフ「給料無いときには、無いで!」が定着した。
全く無茶な話であるが、この有名なセリフは平成15年まで続いたのである。
ただ、実際には(多い・少ないは別にして)給料支払いが遅れたり、支払いが無かったことは一度として無い!
・・・要は、それだけの「覚悟」をして仕事をすると云う、マインドの問題である。
私が苦しい、苦しい「倒産の夢」を見なくなったのは、あることをきっかけに「意識を変えた」ときからである。
それは「金・金・金」と追いかけるのは止めよう! 先ず自分の使命に一歩一歩着実に取組むことだと、分かった。
・・・これで随分気が楽になり、肩の力が抜けた。
しかし目的とする主たる事業が未定で、定常的に売上がある訳ではないので、金が無いことに変わりはない。
では、妻子・家庭がある(創業時の)4人がどうやって飯を喰っていたのか?
それは「ソフトウエア」の開発・販売で、何とか会社を継続していたのである。
主として「販売管理」の専用ソフトウエアを、その事業者用に「提案」し、受注・開発・導入をやっていた。
目星を付けた事業者の業務分析を推定で行い、業務改善の提案書を作成してキーマンに説明する手法である。
これが、ほとんど図星でツボにはまるため、非常に高い確率で受注できたのである。
この飛び込み営業を担当したのが弊社の現営業グループ取締役の牛谷である。
そのような中で、宍粟郡一宮町にある「農業公社」から「農作業受委託システム」を受注した。
これが完成して納品した時、ふと「これ他に売れんだろうか?」と云うことが頭に浮かんだ。
そこで、カタログを作ろう!と思いたち、すぐに作成した。
そして、平成6年度の姫路市新製品・新技術開発奨励制度補助金に応募、運良く認定されたのである。
(審査会が平成7年1月に実施され、3月に補助金100万円が交付された)・・・ありがたいお金であった!
そして、姫路市の発表により、また新聞各紙に記事が掲載された。・・・弊社の新聞記事1号である。
これが当社の自社製品第一号「FACTOSS:農業法人経営支援システム」である。
本製品はその後何度もバージョンアップを行い現在に至っている。
本命の事業分野として定めたのは、結論から云うと「福祉」である・・もちろん「農業」と同時進行で考えていた。
要するに「福祉機器」を開発・製造する道である。
どのようにして「福祉」と決めたか?について書く。
それは「スクラップブック」方式である。
とにかく、新聞・雑誌・その他、何でも良いから自分で見て「目に止まった記事」を切り取り、分類毎に整理する。
1~2年、続ければ結構沢山の記事スクラップ群ができる。
実は群の中の件数はその時代の「トレンド」である!  ・・・記者は新規性を感性で捉えて書いている。
(分類は自己流でよいから、とにかく感性で分けることである)
その結果、最も大きな群になったのが「福祉(及び福祉機器)」であった。
何をするにも「時の利」が大変重要である。 ・・・時代が既に過ぎたことに取組んでもダメである。
私は時の利を現す一つが情報量だと思っている。
このようにして「福祉」を事業の分野とした。
要するに「福祉機器」を開発して販売する事業である。・・・当然「自社ブランド」で全国に売る!
分野は決まったが、福祉機器と云っても、非常に幅が広い。
当然であるが、どのような機器を開発するのか?具体的に特定しなければならない。
特定と開発については次号の「開発」で書く。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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