
No.43 『あさぶら』と「ビーチサンダル」
投稿日:2003/09/06
夏に量販店の店先でビーチサンダルを見ていると「あさぶら」を思い出した。
なるほど店先のサンダルは、カラフルで種類も多くしかも安い。
また非常に軽く、履いていると重さを感じないほどである。
しかし、なぜか?ふと「あさぶら」をなつかしく思った。
「あさぶら」はゴム草履である。
正しくは何と言うのか解らないが、私の環境では、そのように呼んだ。
草履全部が一体のゴムで出来ていて、色は単色であった。
これが夏の子供の履物であり、大人も庭履きや田んぼに行くとき履いた。
川に行くときはもちろん誰もが「あさぶら」であった。
川で遊ぶ時に「あさぶら」の利点があった。
それは「水に浮かない」ことである。・・・これは大変重要だった。
川で夢中で遊んでいると、草履が脱げることがよくあるものだ。
ところが「あさぶら」は脱げても、ちゃんとそこに有り、流れないのだ。
ここのところが非常に重要である。
「ビーチサンダル」は水に浮いて流れてしまうのだ。
当然ながら、川は日によって流れが変わることがよくある。
雨が降ったり、天気が続いたりすると、流れも変化する。
だから、履物が流れたりすれば、大変な事になる。
流れたからといって、そう簡単に買ってもらえない。
当時は日本も非常に貧乏であり、どの家庭も質素な暮らしをしていた。
だから、新しい「あさぶら」を買えとは、中々言えない状況であった。
今の、ビーチサンダルの価格なら、何の支障もないが・・・・
だから、どこの子供も皆が「あさぶら」を大事に大事に使った。
当時のゴムの質は悪かった上に、製造技術も良くなかった。
だから「あさぶら」は早く「磨り減った」のである。
特に、「かかと」の部分が早くちびた。
そうすると、歩く度に、小石が「かかと」に当たり、大変痛かった。
子供によっては、「かかと」の部分が円のように穴があいている子もいた。
また、子供は成長するから足が大きくなる。
だから、「あさぶら」から「かかと」が飛び出している子供も多かった。
それでも「それを大事に大事に」履いて使っていたのである。
今、店先には信じられない安い値段で「ビーチサンダル」を売っている。
子供用でも成長に合わせて、何足も家庭にあると思う。
経済も財政も、各段に良くなり、だれもが豊になった。
そして、物を大事にしなくなった。
人間の本質として「消費は美徳」は本当だろうか?
私は、「物を大切にしない者」は「人も大切にしない」と思っている。
私は一足の運動靴を持っているが、破れる度に接着剤で修理して履く。
・・・そんなことをしていたら経済は良くならないと、人は言う。
しかし私は、いつの世でも、物を大事にすることは道徳だと思っている。
穴のあいた「あさぶら」と「カラフルなビーチサンダル」
この違いが日本人の精神を蝕んでいる要因のように思う。