『風の見える朝』

No.59 ボーイスカウトと山国隊長

投稿日:2004/09/27 投稿者:大西秀憲
今まで生活している中で何が一番役に立っているかと言えばボーイスカウトである。
私はボーイスカウト活動が長かった。その中で、様々なことを実地で学んだ。
例えば、ロープの結び方、手旗信号、モールス信号、野営の方法、等等。
火の焚き方、湯の沸かし方、飯盒の使い方、料理の方法、等等。
数え上げればきりがないほど、多くのことを学んだ。
学んだことに共通することは、それらは全て「生活の知恵」である点だ。
知っているのと、知らないのでは、自然界において大違いである。
大げさなようだが、場合によっては「生死を分ける」かもしれない。
更に、学んだ多くのことが、実際の生活の上で大変役立っているのだ。
だから、つくづくボーイスカウトをやっていて良かったと思うのだ。

私が所属していたのは「兵庫・宍粟第二団」であった。
これは大変歴史がある団で、本部は私の檀家寺である「西光寺」にあった。
そして団長は同寺の住職である村上氏であった。
西光寺は檀家が約2000を越すほどの大きな裕福な寺であった。
このような環境のおかげで、ボーイスカウト活動も充実していたのである。
誰から誘われたのか?忘れたが、小学校5年生から入団した。
因みに、ボーイスカウトは5年生から、それまではカブスカウトという。
最初は全く解らなかったが、われわれ団員は素晴らしい指導者に恵まれた。
今から考えると、もう二度とあのような指導者は現れないだろうとさえ思う。

私たちの隊長は「山国さん」だった。
山国さんは私たちより4~5才年長だけの若い若い指導者だった。
この隊長は、いつも他の人と何か違っていた。
「凛として」・「シャンとして」・「毅然として」そして威厳があった。
何よりも素晴らしいのは、全身全霊をかけて一生懸命教えてくださる姿だった。
山国隊長は本当に何でも良く知っていた。
私が天体に興味を持つようになったのは、山国さんの影響である。
野営をしたときには、キャンプファイヤーを囲んで、星座の説明を聞いた。
澄んだ空気の暗闇に煌く無数の星を、指差すとたちどころに名前が出てきた。
さらに、星座にまつわる物語も、驚くほど多く話してもらったことがある。
そして、その知識はモールス信号に及んだ。
私は電気に興味をもっていたが無線の世界に入ったのは山国さんの影響である。

私たちは山国隊長から沢山の多くの訓練を受けた。
例えば、「雪中キャンプ」、「テントを持たないキャンプ」、「40Km走行」等。
また、現在地を不明にして地図だけで目的地に行く訓練、などなど。
とにかく日曜日毎に様々な訓練という名の活動をしたのである。
そして最も凄いのは山国隊長が「和歌山」から来てくれることだった。
山国さんは途中から学校を卒業して南海電車に就職されたのだった。
それでも、山国さんは来てくれたのである。
交通手段がまた凄い、「スクータ」に乗って和歌山から兵庫県宍粟郡へである!
ぼろぼろのスクータ(ラビット)で、ボロボロの道(砂ぼこり)を延々と!
5時間かかると山国隊長は平然と言っておられた。
私は当時は解らなかったが、社会人にとってそれが「如何に凄いことか!」。
雨が降っても、台風が来ても、雪が降っても、山国隊長は来てくれた。
隣近所から来るように、平然として!!

このような素晴らしい指導者にたまたま巡り合ったのは本当に幸運であった。
今もボーイスカウト活動は続いているが、保護者同伴の活動が多いと聞く。
山国さんなら、保護者に対し、丁重にお引取りを願うだろう!
「ここはあなたがたの来るところではありません!」と。
山国さんのような人はもう現れないだろう!

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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