『風の見える朝』

No.66 「おみぞ」と 子供

投稿日:2005/05/27 投稿者:大西秀憲
毎年5月のこの時期になると「溝そうじ」という行事が行われる。
これは、村の各家から一人ずつ出て、村人全員での公的な作業である。
要するに「溝」即ち、水路をきれいに掃除するのである。
掃除の範囲は、村が管轄する水路全てであり、かなり広範囲である。
なぜこの時期にこの作業をするのか?
それは「田植え」と関係がある。

姫路から約35kmほどの山奥にある我が村の田植えは6月中旬である。
田植えには必ず水が必要である。
田に水を引くために「農業用水路」がある。・・・これを溝という。
普通の状態では農業用水路に水は無いか、あっても少しだけである。
要するに昨秋から、田植えが始まる6月までは水が不要のためである。
そして田植えの準備をする時期になると遠くの「イセキ」から用水路に水を引く。
このように水を引くことを「水があがる」と呼ぶ。
田んぼに水がスムーズに流れるように、そうじをする訳である。
要するに「田植え」の準備なのである。
水があがった!つまり水が用水路に来ると、村中が一斉に田んぼの拵えをするのだ。
拵えとは、田んぼに水を入れて、耕しと・しろかきをして田植えが出来るようにする。

今年は村の「溝そうじ」は5月22日(日)であった。
私は今まで、毎年自分がする溝そうじの場所を決めていた。
ところが、今年は初めての場所に行って作業することになった。
(村にも下水ができたため、今までの場所は掃除不要になったのだ)
今年、作業した場所は通称「大溝(おみぞ)」と呼ぶ、幹線用水路である。                                       
幹線と言っても、幅はせいぜい2~3m程度である。
この大溝に入ったのは、実に40年ぶりだろう・・・
溝の現状は昔と様変わりしている。
とにかく、魚が見当たらないのだ・・・
そして、溝の全てがコンクリートで固められている。
コンクリート化はこの付近全体の田んぼの区画整理で行われたのである。
この結果、用水路から魚が居なくなった!

昔の「おみぞ」は、魚の宝庫であった。
村の子供は、ほとんどが「魚獲り」で毎日遊んでいた。
とにかく、魚の種類が多く、鮒・ハヤ・柳バヤ・モロンコ・なまず・うなぎなど・・
また、「ズガニ」と呼ぶ、大きな蟹も獲れた。
大概は「サデ」と呼ぶ、網(タモ)で獲るのだが、手掴みでも獲れた。
それは「エダ」と呼ぶ石の間の穴に手を突っ込んで、掴まえるのである。
これを「にぎる」と呼んでいた。
この他、うなぎやなまずは「浸け針」と呼ぶ方法で、いくらでも獲れた。
それは、50cm位のタコ糸に太い針をつけて、この糸を木の棒に結ぶ。
そして針には「みみず」をつけて、夕方に溝の岸に差しておくのである。
朝はやく、この「しかけ」を引き上げにいくと「うなぎ」や「なまず」が獲れた。
これは子供の遊び兼仕事のようなもので、獲ったものは家のおかずになった。
因みに、うなぎやなまずを「さばいて」焼くことも、子供がやったのである!
さばきには、「肥後の守」を使うのが普通で、子供は誰でも持っていた。
要するに、折りたたみ式のナイフであり、刃渡りは約7~8cmだったと思う。
このナイフを「研ぐ」のも子供は全て自分でしていた。

当時の山奥の田舎では、新鮮な魚などは、まず手に入らない。
かと言っても、肉には高くて手が出ない。
そのような状況で、川の魚類は、貴重なタンパク源であったのだ。
従って、子供が「うなぎやなまず」を獲ると、親は非常に喜んだのである!
要するに子供は遊びを兼ねて、家事の分担をキッチリとしていたのである。
なまずは焼くと不思議な位、小さくなった。
なまずの頭は大きく、これは充分に焼いてから、「にわとり」に食べさせた。
別に、にわとりがかわいい訳でなく、卵が欲しいからである。
因みに、そのころはどの家でも「にわとり」を飼っていたのである。
ほとんどの家は「縁側」の下を鶏の家にしていた。

「うなぎ」はさばくのが非常に難しかった。
子供は色々と知恵を絞って、うなぎを料理したのである。
木の板にうなぎを乗せて、うなぎの頭に「錐」を刺すのである。
そして、動かないようにしておいてから、肥後の守で裂いていくのである。
書くと簡単であるが、これが中々難しく、ナイフで指を切りながらの仕事だった。
上級生がやるのを、下級生は観察して、そして自分でトライしたのである。
このようにして、誰でもだんだんと上手になっていった。

40年ぶりに入った「おみぞ」は只のコンクリートの箱だった!
なまずやうなぎは、住みたくても住む所が無い! つまり家が無いのだ!
うなぎやなまずは、深い穴の奥に寝床を造る。
コンクリートでは、彼らは穴の開けようがない。
このようにして「魚類」は、おみぞから消えた・・・・
但し、用水路の流れは格段に良くなり、水漏れも無くなった。
そして、子供達が魚獲りをする姿も無くなった。

人間の本能として、魚類を獲ることは自然であると思う。
獲った魚を子供が「さばく」ことを通じて、様々な「生きる知恵」を学ぶと思う!
こんなことを一切せず、ナイフも使わず、川で遊ばない、子供が育っている。
夏休みに、親が準備をして網で川を囲い、魚を放した場所で、子供に魚を掴ませる。
全てを準備した中で、このようなことをして、何が得られるのか?
魚が居るか?いないか?解らない!獲れるかどうか解らない?だから子供は知恵を使う。
子供が自ら知恵を使うことが最も重要なことである!

部屋にこもった、ゲームやパソコンから、生きる知恵が身に付くとは到底思えない!
そんな子供が、ごく普通の子供として、育ち、そして大人になる・・・

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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