『風の見える朝』

No.74 ふりが本気に

投稿日:2006/06/27 投稿者:大西秀憲
「○○のふりをする」という言葉がある。
これは決して「本心ではない」態度や行動をとる状態を云う。
本心ではないのだから、つまりはその態度の全ては「うそ」である。
山で熊に出くわしたら「死んだふり」をする、と云うように使う。
この場合、当然のことながら、その人は死んでいない。・・・つまり死はウソである。
熊がどこかに去ったら、その人は「元気に」逃げるのである。
このように「一時的に」本当ではない状態に自分を置くことを「ふり」と呼ぶ。
「ふり」は日常的に、いろんな場面で、普通に使っている便利な人間表現である。
例えば、「そしらぬふり」をする。 「聞こえないふり」をする。 等々
本当は知っているが知らないことにする、本当は聞こえているが聞こえていない事にする。
この場合、本人は意識的に行っていることを、自覚していることがポイントである。

ところが「ふり」をしていることを忘れ「本気に」なってしまったら、それは喜劇である。
しかも一人だけでなく、一つの国のほとんど全員が「喜劇役者」になったら、いかがか?
それも「本気を」ほとんど病的に国家を挙げて、精神的に排除していた国がである!
信じられないことだが、一億以上の人間が「喜劇」を演じて、しかもそれに気づかない!
自分たちは清く正しく生きている!世界は一家、人類は皆兄弟である!
だから世界の人は皆清く正しく生きているので、世界に悪い国も悪い人もいない!
嘘のようであるが、本当にそう思っている国があるのだ。
そのような国が、この世の中にあるのか?と思われるであろう。
それが実際に存在するのだ! 云うまでもなくそれを「日本」という。

始末が悪いことに、ふりが本気になりかけた頃から金儲けに狂奔して、価値基準となった。
宗教観も倫理観も道徳観も、人間的な規範の全てを捨てて、新価値基準で走った!
民族の誇りも、伝統文化も、輝かしい歴史も、家族観さえも、きれいに捨てた。
脊髄も脳も中枢神経も持たない、ブクブク太った軟体動物のような集団国ができた。
そして気がつけば「60年」が過ぎていたのである。
その結果、当然であるが、「ふりをする」以前とは全く異なる人間集団ができた。
それが「世界第二位の経済大国」と呼ばれるようになった。
しかし、悲しいことに(当然であるが)世界のどの国からも尊敬されない!

何を書いているのか?
昭和20年8月15日直後のことを書いている。
大東亜戦争(これが日本国としての正式な戦争名称である)に負けた直後のことである。
確か、8月20日から月末ごろの新聞記事を読んだことがある。
その記事の概略は「戦争は勝つこともあれば負けることもある、気落ちするな!」だった。
戦争に負けた直後は、このような考え方が、まだ通用していたのである。
そして古今東西歴史が示す通り、戦勝国連合軍が「進駐軍」として占領のためやって来た。
進駐軍(主としてアメリカ軍)が来たころはまだ日本人の精神構造は確かだった。
そして当然ながら戦勝国は「戦勝政策」を作成して、その実行に移っていった。
この時点で、多くの日本人は、どのように対処したか?
それが、ここで書いている「ふり」であった。

いきなり「民主主義」というものを突きつけられ、強要されたのである。
3S政策もそうである。 農地解放もそうである。
何が何だか判らない内に、占領軍の強権のもと、すざましい勢いで全国的に浸透した。
この頃の指導者階級のエピソードが面白い。
「民主主義とは何か?」 ・・・答え : 「今までと全てが逆であると思え!」
この程度の認識と解釈で「民主主義の概念」が日本国民に配給されたのである。 
つまり、誰もちゃんと教える者が居なかったのである。

例えば学校では「教科書を否定」することが「民主主義だ!」と教えた。
そして民主主義教育の手始めとして「教科書の内容を消す」作業を子供にさせたのである。
笑い話のようであるが、つまりは「この程度」のものだった。
鋏で切り取らず、墨で塗りつぶしたところがミソである!
・・・つまり、墨をおとせばまた元通り使える、計算であった。

だれも本気で「アメリカ」に従うとは、思っていなかったのである。
しばらく「従うふり」をして、今に見ていろ「次は勝つ!」との思いと気概があった。
云うまでもなく、戦争は悪いことであるし、軽々にしてはならない。
しかし古今東西、人類の歴史から戦争が無くなったことは、ない。
歴史を見ると、たえず勝ったり負けたりの繰り返しである。
最も激しかったのがヨーロッパである。
だから、負けた国は「次は必ず勝つ!」と思って、次に備える。
負けた国の民族は勝った国に「従うふり」をしても、決して「本気」には従わない!
日本人も負けた直後は、そのように思っていた。
「近いうちに」またやるぞ! 今度は勝つ!

これをきれいに忘れてしまった!
そして「ふり」と「本気」があったことすら、分からなくなったのである。
その結果「国としての気概」が全く消えうせた!
民族の誇りと、国の威信を失った国は悲惨である。
「世界中から言いたい放題云われ」ペコペコするだけの国(と言えるか?)になった。
何かといえば、金を出すだけの国に、世界は軽蔑しても尊敬はしない。

60年走った「つけ」がきた。
これを取り戻すには、100年かかるだろう!

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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