『風の見える朝』

No.73 子供の仕事

投稿日:2006/03/25 投稿者:大西秀憲
「もしもし皆さん世の中で、火事より怖いものはない」
「かまどの下の火の始末、よくよくご注意願います」
“ カチ、カチ ”「火の用心!」 (”カチカチ”は拍子木の音 )
・・・歌は童謡「もしもし亀よ」の替え歌である。

これは子供たちが集団で「夜回り」をするとき歌っていた唄である。
小学生の二学期が終わりになる12月の夜になると子供が集まって夜回りをする。
夜回りの範囲は大体「隣保」と呼ばれる小自治会のエリアであった。
夜回りする子供達は1年生から6年生までの「隣保の小学生」である。
6年生がリーダーであり、皆そのリーダーに従った。
拍子木を持って、これを叩くのはリーダーであり、これがカッコ良かった。
いつか自分も拍子木を叩きたい!と小さいときから思ったものであった。
子供達の「火の用心」がどれだけ役にたっていたのか?それは判らない。
判らないが、その夜回りが「子供の仕事」であったのだ。

そのころは、いろんな場面で子供にも「役割分担」があった。
その役割を自然にこなす事が、子供達の暗黙の了解であったのだ。
前に一度書いたが、「とんど」の支度も子供達だけでする冬の子供の仕事であった。
大人は絶対に手伝いをしなかった。(口も出さなかった)
1月14日の夕方に地域の住民が集まってする「とんど」は完全に子供の役割だった。
一軒ごとに「もち」を持って集まり、とんどの火で焼いて、その場で食べた。
とんどの火にあたると、風邪を引かないと云われていたので地域の全てが集まった。
「今年はええ火やなァ!」と大人達が云うのが、子供達へのねぎらいの言葉だった。

更にその頃は、子供が仕事をするために「学校が休み」になったのである。
「農繁期休み」と云い、6月と10月にそれぞれ2~3日の休みがあった。
子供達は完全に「その家の働き手」だったのである。
家が農作業で忙しくしているのに、勉強などしておられなかったのである。
農繁期休みが発表されると、一部だけ喜ぶ子供がいた。
それは「非農家」の子供達だった。
当時の小学校の1クラスは55人の大人数!であったが非農家の子供は数人だった。
その子供達は仕事がないので、正に「休み」であった。
だから農繁期休みの発表を聞くと喜んだのである。

農繁期休みは、当然朝早くから夜遅くまで「田んぼ」に出て仕事を手伝った。
その頃の農作業は全て手作業であった。
当時は、耕運機もコンバインも田植え機も全く無かったのである。
だから小学生の子供でも、大人と同じように、同じ農作業ができたのである。
・・・私も小学生の頃から田植えのスピードは大人に負けなかった。
田植えも当然のことであるが全て「手植え」だった。
田んぼは田植えの準備が大変である、それは「耕し」があったからだ。
耕しには「牛」が使われた。
その頃の一般的な家では、全て牛を飼っていた。それは農作業の動力としてである。
耕しは牛に「鍬」を引かせるのである。 ・・・鍬は父が持った(力が必要だった)
牛が父の意思通り進むように「牛の鼻を引く」のが子供の仕事だった。
牛が次に進む道と現状と農作業の全てを理解していなければ、出来ない仕事だった。
だから子供ながらに農作業の全てを知っていたのである。

秋の稲刈り時期はまた大変だった。
稲刈りは全て「鎌」による手刈りだった。
 少し脱線するが、「鎌」には「稲刈り鎌」と「麦刈り鎌」の2種類があった。
 稲刈り鎌は「歯がギザギザ(ノコギリ様)」で「麦刈り鎌」は普通の歯であった。
手刈りした稲は、次に「藁」で束ね、そして稲木にかけて「干す」のである。
稲木にかけるように束ねた稲を集めるのが子供の仕事であった。
広い田んぼ中から集めるのは中々大変な仕事であった。
このように、子供は農家における農作業の十分な労働力だったのである。
どこの家の子供も同じように仕事をしていたので、農作業を何とも思わなかった。
それが当然の「子供の役割分担」であったからである。

時代は大きく変わって、今日も学校の方向から野球をする部活の声が聞こえる。
子供のスポーツには「親」が付き添っている。
今は、親が手伝って「子供を遊ばせる」時代である。
・・・子供がする仕事がない!と云えば、それまでであるが・・・
子供が元気良く大きな声を出してスポーツや部活をする!
それ自体は、素晴らしいことである。
しかし、現在のそれは偏り過ぎているように私は常々思っている・・・

生活において、遊ぶだけでなく、子供が家の(親の)仕事を手伝うことは、必要である!
それは一つの家庭において当然「子供の役割分担」があるべきだ!と思うからである。
食べるだけでなく! 遊ぶだけでなく! 体が大きくなるだけでなく!
子供は子供なりに仕事の分担をする! それが子供の存在価値を確かなものにする!
現状は、このことが大きく欠けている。

いくら時代が変っても、子供が分担する「仕事」があったほうが良いと思う。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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