『風の見える朝』

No.89 まくり

投稿日:2007/10/11 投稿者:大西秀憲
小学校のころ「まくり」と云う薬があった。
今は聞いたこともないので、もう世の中には無い薬なのだろう。
これは虫下しの薬であり、今思い出しても「嫌な気分になるほど」飲み難い薬であった。
この薬は「学校」で飲むのだ。
「まくり」を飲む時間があって、教室毎に「一斉に」飲む。
飲む場所は「子使い室」の外で水道の蛇口が複数並んだ手洗い場所だった。
大きな「ちゃびん」にたっぷりと入った「まくり」を「アルミのコップ」に注ぐ。
・・・このコップも「ひしゃげて」原形が怪しくなったものが多かった。
(要するに立派なコップではない)
そして全員が並んで「セーノー」で飲むのである。
考えてみれば実に異様な光景である。

虫下しの薬と云ったが、要は「回虫」の駆除薬である。
昭和20年代・30年代は回虫「全盛期!」であった。
回虫は「みみず」を細くして色を白くした様な寄生虫である。
これが体内の主として消化器系に寄生して繁殖するのである。
現在では、非常に珍しくなったが昔は実に回虫が多く、健康管理上大問題であった。
回虫が栄養分を吸収して繁殖と成長するため、人の栄養が不足して青い顔の人が多かった。
特に、田舎では回虫を持っている人が多かったのである。
なぜか?
それは「野菜」と深い関係がある。

当時は戦争に負けた後で経済力が無く、国も国民も非常に貧乏だった。
現在のようにスーパーに行けば食べ物が「ふんだんにある」状態ではなかった。
店の数も少なく、売っているものも限られていたし、購買力もほとんど無かった。
(購買力がついたのは昭和30年代中ごろからである)
特に田舎は貧しかった。
・・・とにかく給与所得者が珍しく、従って現金収入が非常に少なかったのである。
だから、「おかず」が買えない!
そこで自給自足をするのだ。
要するに、主として「畑で作った野菜」を「おかず」にして食べるのである。
ところが野菜を育てるには「肥料」が必要である。
この肥料を買う現金も無いのである。
従って、「糞尿」を肥料にした。

当時の便所は全て汲取り式だ。
・・・トイレなどと云う綺麗な言葉は聞いたことが無かった!
いわゆる「ボッチャントイレ」である。
ある程度たまると、糞尿を「肥たご」に入れて畑に運んで「撒いた」のである。
・・・これを「肥もち」と云った。
どこかの家が「肥もち」をすると100m周囲に強烈な「におい」が流れた!
・・・しかし、これはお互い事で、誰も何も云わなかった。
(今、地方都市でもこれをやると大変な騒ぎになるだろう!
糞尿は、主として野菜に直接「ひしゃく」で掛けたのである。
中には日が浅く、解けずに原形をとどめる生々しい物も野菜のそばに横たわったのである。
これで野菜は育った!
この野菜を畑からとり、例えば夕食のおかずにしたのである。
野菜にかかった人糞の中に「回虫の卵」が産みつけられている。
人がこの野菜を食べることで、回虫が人体の中に定住するのである。
とにかく当時は忌まわしい寄生虫だった。

これを何とかして「駆除」しようと考えたのが「まくり」である。
「まくり」を飲んだ翌日は教室で先生の聞き取り調査が開かれた。
生徒は順番に回虫の数を先生に報告しなければならなっかった。
先生が一人づつ名前を呼びながら記入していくのである。
クラス(因みに1クラス55人だった)のほとんどが回虫の数を報告した。
・・・なぜか?0だったり少ないと恥かしかった。
中には、いつも「まくり」を飲むたびに30数匹と答える生徒も居た。
・・・しかし数を聞いて(その多さに)びっくりする生徒は居なかったように思う。
それだけ、多くの回虫が体内にいることが、当たり前になっていたのである。
「まくり」を飲んでから、次に大便が出る時には便所でしない!
・・・便所ですると「下の溜り」に落ちて、確認できないからである。
例えば「新聞紙」などを敷いて、それにするのである。
そうすると「大便の中の回虫」が数えられるのだ。
一つの「うんこ」で回虫が30数匹と云えば、実に凄まじい数だ!
それは「うんこ」なのか?「回虫のかたまり」なのか? 要するに回虫の「だんご」である。
最も激しい例は「口から出る」ことであった。
教室で勉強中に「先生出た!」と言いながら、手で回虫を口から出す者も実際に居た!!
「まくり」によって回虫は、下に出る時間が待てず、苦しくて胃から口に出るのである。
現在の「超清潔環境」からは全く想像も出来ない凄まじい光景であった!

やがて高度経済成長が始まり、田舎でも給与所得者が増え、家庭の経済力がついた。
そして「化学肥料」が買えるようになり、糞尿を「畑に使う」ことが少なくなった。
その内に、自然に回虫も少なくなり、いつの間にか?「まくり」を飲まなくなった。
何より「臭くて飲みにくい」ものを飲まなくても「良い薬」が多くできたのである。
しかし薬は化学薬品である。
・・・いろいろと弊害があることも事実である。
野菜を人糞で育て、それを食し、またその人糞で・・と云うのは自然サイクルである。
また、エネルギーを消費しないし、二酸化炭素を放出しない。
本当に、自給自足でき、人と地球にやさしい「環境リサイクル」である。
しかし、一面で人糞を利用すると、ここで書いたようなマイナス面があるのも事実である。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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