『風の見える朝』

No.78 技術と技能

投稿日:2006/12/04 投稿者:大西秀憲
技術と技能が混同されている。
混同されていると云うか技能を用いず、ほとんどの場面で「技術」を用いている。
本来、技術と技能は異なるものである。
しかし多くの場面で「技術」と云う表現や言葉を使う。
例えば、オリンピックで活躍するスポーツ選手に対しても「技術」を使う。
いつからこのような使い方をするようになったのだろうか?
私は、このような使い方をするようになったのは、ここ20年程だと思っている。
これも私の推測であるが、戦後民主主義の極端な「平等主義」の影響だと思っている。
つまりは「技能」または「技能者」と云う呼び方を、しなくなったのである。
それに代えて、かっこいいと思うのか?「技術」または「技術者」と呼び方をする。
本当に、これはおかしな現象だと思っている。
「技能」とは、一つのことを人より優れて成す能力のことだと、私は思っている。
例えば、「技能オリンピック」と呼ばれる競技がある。
これは産業上の仕事をする技を(種目別に)競い、世界一を決める大会である。
昭和30年代、40年代は日本のメーカー各社が競ってメダル獲得に挑戦した。
メダル獲得数で会社の実力を誇示したのである。
そのために日本のメーカーは凄まじいエネルギーで「技能者」を養成した。
中学の新卒は当時「金の玉子」と呼ばれた。
そして全国各地から優秀な金の玉子が続々と東京に集まった。
そして「玉子」に対して、非常に厳しく、容赦の無い、徹底的な訓練を行った。
当時、殴る・蹴るは当たり前で、日常茶飯事だった。
このようにして、訓練と競争を行って、極めて優秀な者だけを選んで、特殊訓練をした。
「技能オリンピック」でメダルを取るためには、並みの技能では不可能だったのだ。
選ばれた人の「技能」は、それこそ「神業」だった。
私は間近に複数の金メダリストと、その作品の多くを見たことがある。
それは金属精密加工の分野だったが、「ヤスリ」を使った超精密芸術作品だった。
・・・人間業とは思えない「技能」であった。
     (しかし、彼らのことを決して技術者とは呼ばなかった)
日本の工業製品の高品質化(世界第一位)は、上記の技能者効果による所が大きい。
一方「技術」とは、「理論を実際の形にする術」のことと、私は思っている。
(因みに、科学者とは「理論を考えたり、検証する人」と、思っている)
例えば、私のコアコンピタンスは「電気」である。
電気には電気理論や電磁気学など多くの「理論」が存在する。
この理論を基に電気(電子)回路により、装置や製品を設計するのが電気技術者である。
この場合、理論を無視した製品や装置は絶対に成立しない。
なぜなら発想が如何にユニークでも、理論に反した設計では、絶対に作動しないからだ!
つまり理論を忠実に踏襲し、自身の新発想で現実の物を設計するのが技術者である。
また、多くの場合、電気技術者が直接「装置や製品」を作ることはない。
作るのは、技能者や製造作業者である。
では、技術者は装置や製品が作れないか?と言うと、そうではない。
例えば、プリント基板組み立てや装置の配線は、出来るのである。
しかし、技術者と技能者では「出来映えと、スピード」が全く違うのである。
このように世の中では棲み分け、使い分けされている。
テレビ、出版など報道・マスコミの世界では、上記の使い分けがデタラメになっている。
例えば、最近テレビを見ていると京都の「伝統芸能」が紹介されていた。
ここで紹介されたのは「伝統技術」としてであった。
1000年の歴史を持つ京都には様々な工芸・芸能があり、それを伝承するのが技能だ。
例えば「蒔絵」や「うるし」や「西陣織」や「彫金」がある。
彼らは、人間業とは思えない卓越した技法で、素晴らしい製品(作品)を生み出す。
何れにも共通するのは、彼らは独自の、独特の道具を用いることである。
これらの道具は、多くの場合「自作」である。
また「道具」は極めて「シンプル」であり、生涯をかけて遣い込まれることが多い。
しかし「蒔絵」をする人を技術者とは呼ばない。
同様に「彫金」する人を決して技術者とは呼ばない。
彼らは「技能者」または「職人」と呼ぶのが一般である。
別の言い方をすると「匠」と呼ぶ。
例えば「匠」はドイツで「マイスター」と尊敬される技能者と同じだと私は思う。
マイスターは「エンジニアー」とは呼ばれない!
ところが報道・マスコミの世界では、彼らを「技術者」と云うのである。
技術者と技能者(職人)を、ごちゃまぜで使っているのだ。
彼らは、技術者と呼ぶ方が、カッコいいとでも思っているのだろうか?
元々、英語の「Engineer」は蒸気エンジンを操作する人、の意味であった。
イギリスの産業革命で生まれた、新たな職業だった。
「・・・を操作する人」程度だから、社会的地位は非常に低かったのである。
それに比べて、マイスターは社会の尊敬を集め、社会的な地位は極めて高かった。
たぶん、マイスターに向かってエンジニアーと呼べば、激怒したことだろう!
更に、スポーツの世界でも「技術」と云う言い方をしている。
フィギャースケート選手の「演技」を評して「素晴らしい技術です!」と云う。
体操選手の「演技」に対しても「素晴らしい技術です!」と云う。
・・・ここで「技術」を用いるのは、明らかに間違っている。
彼(彼女)らは、決して「技術者」ではない。 ・・・スポーツ選手である!
例えば、陸上の花形である、100mやマラソン競技に対しては「技術」を使わない。
スポーツでの使い方で正しいのは「技」と云う表現である。
・・・日本の「相撲」や「柔道」でも「技」と云うが「技術」とは決して呼ばない。
「どちらでも良いではないか!」と云われるかもしれないが、区別は重要なことである。
私は、次のように「区別」して使っているので紹介する。
1.科学者が新しい理論を考える
    ⇒ 2.技術者が理論を実際の形にする
         ⇒ 3.技能者・職人・匠が価値ある素晴らしい物にする。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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