『風の見える朝』

No.44 自転車

投稿日:2003/09/22 投稿者:大西秀憲
風の強い雨の日に学校に着くと、もうずぶ濡れであった。
それでも、黒いズボンを脱ぐ訳にもいかず、ベタベタのまま勉強?した。
家から学校まで「約18km」あった。
(私よりまだ10km程遠い友達もいた)・・・つまり片道28km
時間にして行き(つまり朝)は約40分、帰りは1時間かかった。
雨の日は、「傘をさして」自転車に乗る。
右手で傘をさし、左手だけで、雨の中を約1時間も自転車に乗るのだ。
つまり、ずっと片手ハンドルである。
風の強い日は、傘が風で煽られて、その度に自転車がフラフラした。
だから、右手一本で、しっかり傘を持たねばならず、これが大変だった。

時々、右手が「しんどくなり」左手に持ち帰ることもあった。
しかし、左手で傘を持つと「危険」があった。
当然、右手でハンドルを持つことになるから、ブレーキは前だけになる。
自転車で走っていて、前ブレーキだけを利かすと危ないのだ。
タイミングによっては倒れることがある。
だから、傘は右手一本で道中を支えたのである。

帰りはなぜ時間が多くかかるかと言えば、風と上りのせいである。
つまり、帰りは「北に向かって」走るのである。
特に、冬の時期は北風が非常に強く、自転車が中々進まない。
さらに雨の日には傘がまともに北風を受けるので、本当に進まない。

もっと大変だったのが「雪」の日である。
(最近、雪が少なくなったが、その当時は雪が多く降った)
道は雪でツルツル。(20~30cm程度は積もった)
学校に着くまでに「何回」こけたか!!
雪が止んでいるとまだよいが、降り続いていると難儀する。
傘に雪が積もると、右手の負担が大きくなり、非常に「しんどく」なる。

忘れられない極めつけは「パンク」である。
当時の18kmの道は、全て地道(未舗装)でガタガタ道である。
あちこちに穴があき、雨の日はそこに水がたまる。
自動車が走ると、その「泥水を跳ね飛ばし」それが「バサッ」とかかる。
服は上から下まで、泥でベタベタになった。
この状態が行き帰りの道中、何回も起きるのである。
また、天気の日は、自動車が走ると、土煙のものすごいこと!
服も顔も「土ぼこり」で色が替わった。
このような状況で、突然「パンク」が起きるのである。

パンクすると友達が片手でパンクした自転車を搬送してくれた。
パンクした本人は他の友達の自転車の後ろに乗せてもらうのだ。
当然、雨の日にパンクすると、二人ともずぶ濡れだった。
そして、自転車屋まで行く。
当時のパンク張りの価格は「50円」であった。
一人がパンクすると直る間、自転車屋の店先で、友達が多く待った。
1日に2回パンクした日もあった。
そうなると、この世の悲劇を一身に背負ったような感じがした。
2回も続けてパンクすると、皆が「ゲラゲラ」笑った!
しかし、それでも「ちゃんと助け合い」をしたのである。
そうゆう、「しきたり」?か、暗黙の「ルール」があったのである。
これは人間としての道徳だった。

今、傘をさして通学している生徒(学生)は見たことがない。
皆、立派な「カッパ」を着ている。
そして、道は完全舗装である。
めったにパンクはしない。
雪も非常に少ない。
環境、状況は私の頃と「雲泥の差」である。
今、同じ学校の同じ方面の子供達なら助け合いをしているのだろうか?
「していない」と私は思う。
信じられない程、豊になったが「道徳」が無くなった。

人間の姿は変わっていない!
変わったのは人間の精神である!

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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