『風の見える朝』

No.20 子供と個性

投稿日:2001/10/22 投稿者:大西秀憲
「子供の個性を尊重しなければならない」と、よく聞く。
また、「個性を伸ばす」とか「個性を発揮する」と言う。
もっともらしい言葉である。
しかし、これらは真っ赤なウソである。
これを言っている大人は、実はねらいが別にある。
自分の主張や意見を横車押すために、「子供の個性・・・」を利用している。
自分の目的のために「人権」を持ち出すのと同じ手法である。
個性うんぬんも、人権うんぬんも、正面切って反論できない!
だから、これらは非常に便利な言葉である。・・・悪用するには。
これらに近い言葉として、「反省せよ!」・「誠意を見せよ!」と言うのがある。
尺度がないから、際限がない! ・・・そこが付け目である。

子供の個性など、ちゃんちゃら可笑しいと、私は思っている。
個性とは「努力と研鑚と勉強」で苦労して培われるものである。
一人前の人間になって、初めて個性が光る。
従って小学生の子供に個性などない!
「わがまま」と「無軌道」を個性と間違っているのだ。

例えば、画家は個性を出さなければ認められない。
しかし、個性を出すまでには、みっちりと基本を学ぶのである。
基本がなければ、個性など出せない。 もしあれば、それは落書きである。
他の芸術も同じである。 もちろんスポーツなども同様である。

人間としての基本を学ぶために学校に行く。
だから、基本が出来ていない子供に「個性」など無いのだ。
「わがまま」と「無軌道」を個性と言い換えていると、とんでもない人間ができる。

本当の個性とは、磨いて苦しんで、その末に「にじみ出てくる」ものである。
いぶし銀のように!

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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