『風の見える朝』

No.21 男女平等ということ

投稿日:2001/11/01 投稿者:大西秀憲
何かにつけて、男女平等と言う。
たしか、以前は男女同権と言っていたように思う。
とにかく、平等ということに、楯突くつもりは毛頭ない。
しかし、現状は「ひどい」と思う。
男女平等は概念であるから、明確な尺度がない!
尺度がないから、際限なくエスカレートして行く。
これが過度に進むと、困るのは女性だと思う。

当然ながら、男女は「法のもとに平等」である。
しかし、法はたかだか数百年の歴史しか持たない。
人類の歴史から言えば、それは刹那である。
では、法が生れる前の人類はどうしていたのか?
ちゃんと、暗黙のルールを作って、社会生活を営んでいたのである。

それは、男の分限、女の分限と言うものである。
男には、男の役割が、女には女の役割があった。
それをお互いに守り、尊重することで、見事に成り立っていたのだ。
これが本当の「男女平等」である。

女が男のまねを、男が女のまねをするのが、平等ではない!
女子中学生が男言葉を話すと言っても、決して平等には繋がらない。
身体の構造も、しくみも、そして脳の構造も男女は同じでない。
それぞれが、特徴を認め、お互いの持分で努力することが平等だと思う。

これをしっかりと認識しないと、とんでもない社会になる。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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