
No.1 はじめに
投稿日:2013/04/08
懲りずに、新しいコラムを書く前に。
とにかく「夢」と云う言葉が好きである。
夢には「プライベートな夢」と「オフィシャルな夢」がある。
オフィシャルな夢は仕事の夢で、これは人に話さなければならないし、そうしている。
しかし私は、プライベートな夢=自分の本当の夢は人に語ったことはない。
なぜなら、話すと夢が夢でなくなる気がするからだ。
だが夢の道中に「ついでの話」をしたり書いたりするのは構わないと思っている。
そこで「夢のつれづれに」と云う題を思いついたので、気まぐれに書いてみたい。
さて、
世の中のことは、過ぎ去れば「全てが夢」のようだと云われている。
例えば、敦盛にある。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか・・・
また、天下人として富と権力を極めた太閤秀吉の辞世。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
太閤秀吉でさえ死ぬ間際には「人は儚い」ものだと思ったのである。
しかし一方で「人は夢」で生きている。
・・・どちらも「人の心が絡む」ところが非常に面白い。
人は夢に到達しようと必死に足掻いている
まだ入り口にいる人も、中ほどまで進んだ人も
死ぬ前に「儚い夢だった」と悟るのが、どうも人間のようだ。
従って「夢」には時間軸も尺度もない
「大きい、小さい」は、そもそもないのである。
そこで「夢のつれづれに」で書く切り口は:
時事の感光、見聞感想、宇宙の摂理、人間織り、などなど多様である。
要するに「夢の与太話」のようなものなので「目くじら立てずに」お願いします。