『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.91 お金と人

投稿日:2023/05/31 投稿者:大西秀憲

お金は人類が発明した非常に便利な道具である。
物々交換だけでは生活も経済も限界がある。
文字も同様で、高度な文明に於いてお金と文字は不可欠なものである。

ところで、お金は大変便利なものだが、場合によっては悪魔にもなる。
おばあちゃんは私に何度も云った「たとえ兄弟でも人には金貸すなヨ! もし貸すんならやっとけ」と。
人はお金を巡って豹変する!
毎日のように起きる凶悪事件を見れば良く分かる。
金を巡る事件は、いくら文明が進んでも絶対に変わらないし、無くなることはない。

私は「お金で人が豹変した」場面に3回遭遇した経験がある。
その2回は私が電器屋の店員をしていた頃のことである。
一般的に世間では、人は相手を見て態度を決める。
いくら「ごじゃな人」でも相手が社会的に立派な人だと遠慮して対応する。
ところが「町の電器屋の小僧」が相手だと、もうそれ以下の人間はいないので遠慮がない。
(実際に私は人間扱いされなかった経験が何度もある)

さて、「お金と人」の1つ目の話。
それは12月31日(大晦日)の夕方のことだった。
昔は、大晦日のこの時間にはどの家庭でも「正月料理作り」に大忙しで、家の中には活気があった!
私は店の奥さんに云われて竹添という家に集金に行った。
(請求額は確か9,000円程だったと思う)
内容は、私が担当したテレビ修理とUHFアンテナ工事の代金だった。
(1年近く全く払わずに溜まっていたので年末に集金に行ったのだ)

竹添さんは大工で、いわゆる「ありがた屋」であった。
「ありがた屋」とは新興宗教や地方の拝み屋の信者で、宗教や人の道を滔々と話す人のことだ。
私の遠い親戚の兄さんが、その竹添さんに家の改造を頼み、それで親しくなった。
(私はその改造の電気工事をしたので、それを通じて竹添さんと知り合いになった)
竹添さんは本当によく喋る人で、特に「人の生きる道」や「人生訓話」をいつも感心しながら聞いた。
本当に世間の大人の鏡のように見える人だった。

私は引き戸を開けて「こんにちは!石野電器です」と云った・・・引き戸を開けると当時のほとんどの家は土間だった。
大晦日の夕方と云うのに、家の中はシーンとしていて、生活の音が全くしない。
3、4回程同じことを言ったら家の奥から「兄ちゃんかい」と竹添さんの声がした。
(家族中息を殺して奥の部屋に潜んでいたのである)
私は「集金にきました! 年末なんでキレイにしてもらえませんか!」と大きな声で言った。
しばらく沈黙が続いた・・・

突然奥から竹添さんが「金ないど!」と言う声がした。
それで引き下がる訳にはいかないので、私は「貰わんと店に帰れんのや! 頼んます!」と繰り返した。
そうすると突然大きな声で「じゃかましいわい! 無いもんは無いんじゃ!」の声。
そして「いね!」声がかなり殺気立っている! ・・・「いね」とは帰れと云う方言
私は云う事は一つであるので「正月が来よるで、お金貰わんと帰れんのんや」と繰り返した。

暫くすると家の奥から人が出てくる足音がした。
そして土間から居間に上がるガラス戸を3cm程開けて何かを土間に投げた!
「チャリーン・・・」と土間で悲しい音がした・・・それは硬貨だった
「それ持って、はよ いね!!」と喚き、そして「ピシャ」と戸を閉めた。
私は土間に投げられた硬貨2個を拾ったが、それは「15円」であった。
お金を拾う時、何とも云えないほど悲しい気持ちになって、涙が出そうになった・・・・

私は「これじゃ足らんのや!」と云ったら、中から「何に!! 金要らんのか!」と云った。
「金要らんなら 金取りに来るな!!」と怒声
・・・それからは何を云っても無言、家の中は物音ひとつしない
私は店で小言をいわれるのを覚悟で、その家を出た。
もの凄く悲しく、辛かった・・・大きく裏切られ、大きな傷を負った
・・・それまで土間に投げ捨てられたお金を拾った経験が無かったのだ
その時の顔は見えなかったがおそらく「悪魔の顔」だったのだろう・・・
要するに、お金で悪魔を見たのである。
(それが竹添さんの本性だったのだ)

あれだけ良い人「大人の鏡」のように振舞っていた人が、同じ人なのだ。
以来この人には会っていない・・・そして売掛金は放棄した。
この経験は私の人の見方(人生観)に強烈に影響を与えた。
人間の本質は平常では分からない! いよいよになると、人は金で豹変する!

もう一つは、集金に行って「出刃包丁」を突きつけられた経験である。
「払ってほしい」・・・「ない!」の押し問答をしていると、突然そのオッサンが台所へ行き、包丁を構えて出てきた
「いなんなら! 殺したろか!」と鬼の形相で迫ってきた!
幸い、その家の奥さんと娘さんが、オッサンにしがみついて「おとうちゃん やめてえな!」と泣き叫んでくれた。
そして奥さんが「はよ逃げて!」と叫んだので、私は必死で逃げた・・・
本当に怖かった。 ・・・あとで聞いたら、オッサンは「3日前に出てきたばかり」だった
そのオッサンも普段は本当に良い人でよく話をする人だった・・・本当に人間は分からない
しかし、なぜか?この時は全く悲しくも辛くもなかった

3つ目の話は、その人がまだ現役で生きているので、話すのは控えるが、あらすじを書く。
私が目を掛けていたビジネスの同志で、事業も順調だった。
ある時纏まった売上金を掴んで突然狂った。・・・金で女に狂ったのである。
結果は財産の全てを無くし、多くの借金だけが残った・・・そして培ってきた全ての人を失った。

このような経験から培った人生観は独自のもので、私は「人と付き合いをしない」のである。
私が友達を持たず、複数で集まらず、基本的に人を信用しないのは、このトラウマがある。
いづれにしても、耳障りの良い事を滔々と言う人は信用できない!

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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