『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.23 大企業と小・零細企業

投稿日:2015/02/05 投稿者:大西秀憲

日本には約400万の会社があると云う。
仮に「上場会社=大企業」と仮定すれば、大企業の数は「0.2%以下」であり、ほとんどが中小・零細企業である。
また、中企業の中には敢て上場しないが、上場企業を凌駕する規模の立派な会社がある。・・・但し数は少ない。
従って、このような中企業は「小・零細企業」とは一括りにできないので「中小企業」という表現は正しくない。
よって、日本の企業の「3σは小・零細企業」である。

小・零細企業の中には独自の技術、サービス、ノウハウ、等のビジネスモデルを持っている会社が多くある。
それらの企業は、市場の中で確実に自社の存在を確立している。
良く観察すると、それらの会社は絶対に「大企業と同じ土俵で勝負していない」ことが分かる。
例えて云えば、「大企業は巨大戦艦」であり、「小・零細企業はモータボート」である。
  ・・・まともにぶつかっては絶対に勝ち目はない。

規模の大小は、双方に一長一短があり、どちらが良いか?と云う比較はナンセンスである。
しかし、規模以外に大企業と小・零細企業では「明らかな差」があると思っているので、ここではその観点で書く。
(私は、どちらも経験しているので客観的に分かる)

一言で云えば:    大企業   VS   小・零細企業
            ↓           ↓
            管理          フリー

大企業では社員の行動規範やルール、管理規程が「微に入り細に亘って」存在し、社員は縛られ、従う。
総務部、人事部、教育部などの任に当る社員が「管理を仕事として」隙間やモレが無いように目を光らせる。
(本来は脇役で支援部門である「これらの部門」が社内で大きな存在と権力を振るうようになるから不思議だ)
  ・・・この結果、手柄を立てるより、失敗しない方が出世する
このようにして「管理して育成する」から、大企業の社員は「態度、言葉、身なり、行動等」が整っている。
彼らと接すると良く分かるが、「はみ出した」ところが無く、云わば貴公子である。
社内の教育制度(育成)も完全で、カリキュラムが整っているから「良質で均一な社員」が育成される。
従って、大企業は益々洗練され、良質な社員が増える結果、小・零細企業との差が増大する。

一方、小・零細企業では社員を教育・管理する専門部門が、そもそも無い。
  ・・・そんな余力がない。
会社の組織的な管理・育成制度やカリキュラムが無いので、社員は「野放し」で育ち、それを「OJT」と称する。
従って、「フリー」なのである。
この結果、上手く行けば「逞しい社員」即ち、「野武士的人材」が育ち、企業の大戦力となる。
小・零細企業は「結果オーライ」であるから、社員の規範や行動、プロセスは重視しない。
このようにして、小・零細企業は「一部の有能な社員」によって存在し、生き残って行くのである。

もし「1対1の勝負」をすれば、貴公子と野武士では戦いにならず、必ず野武士が勝つ!
(しかしながら、大企業は「組織」・・・つまり戦艦で、向かってくるから、一人ではどうにも勝負にならない)
以上の結果、小・零細企業の社員には「味のある人間」が多く、大企業には「均一で上質な人間」が多い。
  ・・・当事者は案外気が付かないが、観客席から見ると非常に良く分かる。
モータボートでは変幻自在な操縦ができるが、巨大軍艦では一人の意思で自由な操縦はできない。
小・零細企業の社員は変幻自在の蓄積により「狭いが深いノウハウ」が身に付き、経験によって人が育つ。
一方、大企業社員は「広く浅いノウハウ」が身に付き、その環境によって「グル−バルな人材」が育つ。

努力した人の最終的な人生の到達点は人、皆同じである。
要は、どうやって「そこに到達するか?」、そこが人生鍛錬の場(つまり日常)である。
恵まれた環境と洗練された育成システムだが、集中管理された社員育成。
一方、野放しだが「自己裁量でフリー」な社員育成。
どちらを選択するか?

これは「個人の哲学」である。
偶然、モーターボートに乗った人は、自分で自覚して自己を磨かねばならない。
(そうでないと、益々軍艦乗組員との差が拡大する)
また、出発点として21~2歳で「就活」に臨むに当り「事前熟考」が大切なのである。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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