No.65 平成30年秋の叙勲
叙勲のこと
毎年、春と秋の2回、新聞に「褒賞・叙勲」の記事が載るが、縁の無い遠い世界の話と思っていた。
ところが、豈図らんや秋の叙勲の対象に私がなったのである。
私事で、どうかと思うが、この顛末を書く。
叙勲を辞退する事も考えたが次の二つの理由から頂く事にした。
① 社員の誇りになる
② 会社の名誉となる
まず、官庁から「叙勲対象者」の内示がある。・・・9月下旬か10月始め頃
しかし、10月下旬の「閣議決定」までは、他に話すな!と口止めされる。
・・・今年は10月23日が閣議決定の日だったそうだ。
すると驚いた事に、10月24日の我が家のポストに「大量の業者DM」が届いた。
そこで改めて日本の「褒賞・叙勲」ビジネスの凄さを知った!
交通切符、ホテル、着付け、写真、食事、お土産、記念品、等々の注文案内の冊子である。
極め付きは「記念品」と披露パーティか!
その業者が、披露パーティ会場のホテルから運営までの手配から一切を受ける。
また、私が住む地域にある多くのホテルの支配人がポストに名刺を入れていた。
みんな凄いんだな!と思った。
業者は何度も何度も家に来たが、幸いにもマンションなので「インターホン・・・プツン」で全てが済んだ。
・・・実際、会ったら大変だろうナ!
11月12日(月)「勲章伝達式」が東京プリンスホテルであった。
とにかく非常に多くの人で広い会場が一杯であった。
正直な感想は「こんなに多くの対象者がいるのか!」ということ。
私は褒賞と叙勲の区別すら知らなかったのだ。
ようやく分かった事がある ・・・それは「叙勲は官職・公職のためにある」ということだ。
現に、私が貰ったのは「旭日 単光章」というものであるが、純粋の民間人では極少数だと説明があった。(経済産業省分)
私の叙勲のベースになったのは「元気なモノ作り中小企業300社」に初年度で選ばれたことだった。
ほとんどの対象者は公務員だった人、公的な機関や組織に属していた人である。
いずれにしても、国家国民に対する「長年の労苦に対する栄誉」である。
私は積極的な気持ちで叙勲を承諾した訳ではないが、思い切って受け入れた結果、2つの良い事があった。
その1つは「陛下を近くで拝顔できたこと」である。
春秋の間(384坪もある広い部屋)に陛下が入って来られた時には、得も言われぬ「オーラ—」を感じた。
テレビで拝見するより「お元気そうだ」という感想だった。
やはり、何者にも代え難い伝統が成せるものであろう・・・
もう一つは、春秋の間壁面の「東山魁夷の絵」が見られたことである。
約50年程前に建物造営に合せて、同氏がエネルギーを結集して描かれた超大作である。
当然、世に披露された事も無ければ、今後も直接見ることはない。
広い階段を上がっていく目の前に大迫力で目に飛び込んでくる、この素晴らしい作品!
立ち止まって見ることは出来ないが、短い時間、本当に満足した。
・・・私は東山魁夷の大フアンであるから・・
頂いた「章状と記章」は額に入れて、今年春に完成した「テクノスHO記念館」に掲げて永く披露する予定である。
(尚、私の主義により、記念品配布や披露パーティ等は一切行わないと決めている)