『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.64 パイロット免許

投稿日:2018/10/05 投稿者:大西秀憲

2018年9月3日、念願の『日本のパイロット免許を取得』した。
  (以前、2015年11月、私は「海外でパイロット免許を取得」していた)
    現在、「小型飛行機」を持っている。・・・岡南空港(岡山市南区)に定置
      機体は、USA製「パイパー28A−181 アーチャーⅢ」と云う、定員4人の飛行機である。
         私は、この飛行機で自由に飛ぶことができる。・・・(目的は、高度1,500m&2,400mの大気収集)
           とにかく空は素晴らしい!

2015年春ごろ突然、飛行機の操縦をしたい(要するに、パイロットになりたい)と思った。
 (・・・なぜ?そう思ったか、分からない)
思ってから約3年半で100%、思いを実現した!! この間の顛末を紹介したい。
  定年退職(定年はすぐ70歳になる)したシルバーが以後の「永い人生、どう過すか?」の一つの参考になると思うからだ。
    男は誰でも90歳、女は誰でも100歳が当たり前の時代が、目の前に来ている!


さて、「飛行機に乗りたい!」と思ってから、次に考えた事は「その実行&達成計画」である。
  即ち、その時既に68歳、常識的に見れば「もう無理な年齢」である。
     そこで私は、パイロット免許の取り方を徹底的に調べた。
       どうすれば最短期間で免許が取れるか?
         そして、色々調べて私は、最も速い免許取得を目指した。

現在の日本では、所定の操縦訓練をして、「シルバーがパイロット免許を取得」する環境が事実上無い!のである。
 (もちろん、若い人達には航空学園があり、パイロットを養成する道がある、また自衛隊入隊の方法もある)
    仮に、高齢者への道があったとしても、取得までには「大変永い年月」がかかる。
      68歳には時間(年月)が無いのだ。

そこで私は、海外免許に目を向けた。
  海外での免許取得候補として、アメリカ、ヨーロッパ、フィリピンが目に付いた。
    そして私は、ヨーロッパ(ウクライナ)を選んで、事業会社と交渉を開始して、そして契約した。
      2015年春に決断して、8月・9月はフライトシュミレーターによる訓練を行った。
        (これはヨーロッパの事前基礎勉強)

そして私は、2015年10月と11月の2回に分けてウクライナに行った。
  びっくりしたのはウクライナの航空身体検査の厳しさである。・・・例えば「ケツの穴の中」まで、指を入れて検査する。
    しかし、身体検査に合格しなければ「メディカルパス」が発行されない。
      このパスがないと、操縦訓練が開始できないのである。
        結果、私は1項目が不合格だった。
このため、ウクライナの公立専門病院を2カ所指定され、その2病院で同じ精密検査を受けることになった。
  結果は、2カ所ともOKの診断結果を出したため、これを受けて国立の「航空身体検査専門病院」がメディカルパスを発行した。
    最後に、病院スタッフの数人が「これで乗れるナ! おめでとう!」と云ってくれて嬉しかった。

それから操縦訓練を受けるため、ウクライナの「首都キエフ」から電車で約4時間の「ハリコフ」に移動した。・・・ロシア近く
  ともかく、実に不安定な天候の中、操縦訓練を行った。
    私が乗ったのは、オーストリア・ダイヤモンド社の「DA40−NG」(低翼・単発)である。
      これは実に綺麗で、最新鋭の飛行機だった。(コックピットには大型の液晶ディスプレイ)
        約45時間の厳しいカリキュラムが組まれていた。

そして私は所定の訓練を終了して学校を卒業し、首都キエフに戻り、ウクライナ政府・航空局の窓口に免許申請をした。
   (学校が猛烈なPUSHをしてくれたお陰か?)
  2015年11月23日、私は航空局の窓口で『パイロットライセンス』を受け取った。
    これは、ウクライナ国内では自家用飛行機で自由に飛ぶことができるライセンスである。
      ・・・要するに、『私はパイロットになった』のである。
        その夜、現地スタッフ全員が「パイロット誕生のドンチャン騒ぎ・祝い」をしてくれた。
           ウオッカを浴びる程飲み、「3か所位をはしご」、最後は全員ダウン!
その2日後、日本に帰った。

さて、ここからがまた大変であった。
  私は直ちに日本の航空局に「海外ライセンス・書換申請」を行った。・・・2015年12月
    2016年3月、航空局から公文書が届いた。
     「ウクライナの単独飛行には一部認められない内容があるので、国内で・・・・の訓練を行い、再申請せよ」の由。
        要するに、日本の航空局が指定する訓練を行って、その証明書を付けて再申請せよと云うことである。
          日本で飛ぶには日本のライセンスが絶対に必要である。

普通は、ここで諦める人が多いだろう・・・
私は諦めなかった!
  そこで私は、この訓練ができる機関や組織を徹底的に探した。
    ところが「国内には無い」のである。・・・これは私の都合とスケジュールに合わせて自由にできるという意味。
なぜ無いか?
それは、①訓練で貸してくれる飛行機は無い。 ・・・そりゃそうだろう!自分の飛行機を訓練用に貸すほうがおかしい
    ②訓練をする教官(教育証明保持者という)がいない。・・・近くで、自由時間を持っている教官は居ないのが当然!
要するに、尋常な手段では個人で訓練を開始できないのだ。

そこで私は、思い切って「訓練用の飛行機を購入」した。・・・1972年製造、約45年前の機体である。
  幸運にも、教官も見つかった。(但馬フライトクラブのY.IDe教官である)
    このような訳で、私が日本で訓練を開始したのは「2017年3月28日」である。
    (訓練には、国土交通大臣発行の「操縦練習許可書(航空身体検査合格が条件)」と「航空特殊無線技士免許」が必要です)
      訓練場所は、岡山「岡南空港」である。

以来、猛暑の中でも、大寒の中でも、全く休まずに只管、操縦訓練を行った。
  この間、「タッチ&ゴー」の回数は約1200回になる。
    そして飛行時間約90時間で、教官から「日本での単独飛行(ソロと云う)の許可」を得た。
      次の、仕上げステージは「エアーワークとナビゲーション」である。

また、ステージが異なるが学科試験の受験と合格 が必要不可欠。
  学科は、航空気象、航空工学、航空法規、航空通信、航空航法の5科目がある。(3月、7月、11月に実施)
    私は5科目受験したが、海外免許所持者は「航空法規」のみの受験で他は免除される特典あり。

「エアーワークとナビゲーション」の内、特にナビゲーションが難しい。
   ナビゲーションで難しいのは「英語による航空通信」である。 ・・・専門用語なので一般英会話と異なる。
     約60時間、この訓練を行った。
      ・・・私が使用したのは「高松空港、広島空港、松山空港」そして、ベースが岡南空港である。
岡南空港を離陸し、目的の空港に着陸、そして小休止のあと離陸して岡南空港に着陸する内容である。
  そして集中的にこの訓練を行って、所定の課程をクリアーした。
    この終了を持って、航空局に国内免許書換申請を行った。・・・2018年8月8日
      そして遂に、9月3日付けで国土交通大臣からパイロットライセンスが交付された!!

まだある!! 最後に残っているのが「航空身体検査」である。
  航空身体検査指定医の元で検査を受け、「航空身体検査証明書」の交付を受けなければならない。
    よって私は、2018年9月12日に、脳波測定から始まる「航空身体検査」を受け、合格した。

要するに、飛行機を操縦するためには「次の3種が絶対必要」なのである。
  ①操縦技能証明書(いわゆるパイロットライセンス)(生涯有効)・・・但し、2年毎に技能審査を受験
  ②無線免許(生涯有効)
  ③身体検査証明書(私の年齢では期限1年)

私は大げさに云っているのではない、日本で(自家用機で)飛ぶには以上のようなプロセスが必要なのである。
  懸命に働いて、65歳でリタイアし、パイロットを目指す人は、結構いるかも知れない。
    しかし、その成功プロセスと確率は「極めて難しく、低い」ものである。・・・壁が非常に高いのだ!

実は、もう一つ「更に大きな問題」がある。
  それは「お金」である。
    以上のようなプロセスを実行する場合、約1,000万円は必要である。
     (海外訓練費用&渡航・宿泊費用+国内費用(教官教習費+機体検査・点検費+航空保険料+燃料費+駐機料など)
       ・・・生活しながら、この金を、右から左に出せなければ、その時点で「夢は頓挫」する。
            (正に、地獄の沙汰も〇〇次第!が、ここでも活きている)
どうですか?
パイロットは憧れですが、それだけに「大変です」ね!

パイロットを夢見て、目指す人は多くいます! が、一方、実に多くの人が挫折して去るのが現実なのです。
  私は、パイロット免許の取得と、それによる飛行機の操縦は、趣味の中でも突出して高いレベルと最高の物と思う。
    自家用パイロットには「医者と弁護士と経営者」が多いそうですが、私はその理由がよく理解できる。
      本当に、頭を酷使するので「知的好奇心」を擽るのである!

飛行機をやると「飛行機友達」ができる。
  この人達がユニークで、そして能力が凄い!
    (今まで私が接してきた人達とは、まるで世界が違う人種である)
       現に私は偶然、飛行機友達の「石川さん」を得た。・・・今では得難い人材だ!
         彼は自分で「自由人・健児」を名乗っている、誠に自由奔放な人である。
           空の技が凄い! 「飛行機、ヘリコプター、モーターグライダー」の3種のパイロット免許を有する!
             彼は3種類、それぞれの航空機で自在に飛ぶスーパー パイロットである。

飛行機で深いバンクの旋回をすると「海も陸も回転する」この快感は、言葉でうまく表せないほど、凄い!
  私は一度きりの人生!自分で空を飛んでから死にたい・・・と思ったのは正解だった。
    コラムを読んだ皆さんの中で「腹を括って」、空にチャレンジする人はいませんか?

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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