No.4 若い人の夢
日本人の夢について書きたいと思うが、その前に「若い人の夢」について書きたい。
なぜ?そんなことを思うのかと言えば、迷っている多くの若い人と接しているからである。
私が接しているのは「採用面接」を通じてであり、中途採用、新卒の両方で、年間では3桁の人達と接する。
その中で感ずることがある。
それは「自分を見失っている人」、「何をしたいか分からない人」が実に多いことである。
16年間の永い学校生活を終えて、「晴れて社会人」となり、夢とエネルギー溢れるはずの若い人が、である。
これは「文明病」と言えるかもしれない。
日本人はとにかく真面目に努力して工夫して切磋琢磨して世界で最も豊かな社会と国を作り上げた。
日本人が一所懸命に汗して、井戸を掘るのを「腕組みして」見学していて、次は「学校を作ってくれ」と言う国がある。
学校ができたら次は「橋を架けてくれ」という・・・しかも無償である。
こんな国は(民族は)100年、200年しても、決して豊かにならないだろう!
可哀想だからと、募金活動、薬や食糧援助、これをいくら続けても「貰うのに慣れるだけで」自ら豊かにはならない
このような国は世界に沢山ある。
それに比べると日本は夢の国である。
しかし、前に述べたように若い人達が「無気力に、自堕落に」生きるのが増えることに危機感を覚える。
縄文、弥生の時代から日本人は「自助努力で成長してきた」のだが、これからどうなるか?
「お前は高望みし過ぎるのだ」と言われるかも知れないが、私はトップエリートを求めているのではない。
一言で云えば「普通の人」を求めているだけである。
最近、特に感ずることは、この普通の人が非常に少なくなったことである。
私が云う普通の人とは?「普通に会話ができ」、「普通の常識」があり、「活きている」人のことである。
就活で会社訪問・面接をして「質問ができない人」は普通ではない。
中には生きているのが不思議に感ずる人もいる。
共通して云えることは、生きるための「夢」を持っていないことである。
私は「夢」という字が好きで、年賀状にはよく「夢」を使う。
夢は不思議な字であり言葉で、その意味は非常に広範囲でかつ奥が深い。
現実だけで汲々とするより、人は別の次元で楽しみを持つ、それが夢である。
夢を現実のものに具体化したものが「目標」であるので、夢がなければ目標も無いことになる。
目標は人が生きる上で「節目」になるもので、これが無ければ「成長」もない。
夢は実現するか?どうか?分からないものである。
しかし、「先ず夢見る」ことが出発点で、最も重要なのである。
つまり「夢」が無ければ、成長もないのである。
「夢を持っている人は活きている」、だからその人が「活きているかどうか?」を見るのである。
せっかく、この世に生まれてきたのである! 高々人生80(90)年、自分の意思で50年だ!
こんな短い時間、思いっきり自分を活かして、アクティブに生き、大満足して人間を終える
私はこのような生き方が望ましいと、いつも思っている
このために必要なのが「夢」であるが、夢と云うと分かり難い場合、それは「思い」である。
自分が「こうなりたい」、「あんな風になりたい」、「こんなことをしたい」、それが思いであり、これが出発点である。
夢は物理的なものではない(物理的なものは夢ではなく「欲望」である)、従ってお金や商品ではない。
何事も全て「思う」ことから始まる! 思いは「夢」である!
「 人多き人の中にも人ぞなき、人になれ人、人になせ人 」