『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.7 酷いTVメディア

投稿日:2013/10/01 投稿者:大西秀憲

つくづくメディアとは何なのか?と思う。
(ここで言うメディアは主としてTVのことである)
とにかく余りにも低俗であり、独りよがりであり、そして権力的であり、なおかつ無知である。
メディアは「第三の権力」と言われて久しいが、メディアが成長しないと国も成長しない。
ところが、TVはどんどん低俗化し、幼稚化し、低品質化し、廃頽の一途を辿っていると感ずる。
例えば、有る程度の教養ある人、常識を持った人、指導的立場や自立した人等はTVを見ない。
なぜなら「見るに耐えられない」からである。

日本の評価を極めて大胆に言えば:
技術は一流
経済は2流
政治は3流
TVは5流である。

経済界、企業や官僚や政治の組織を無責任に批判し、糾弾するのを役割だと思っている。
思い上がりも良いところだ。
この前提は、TVの世界・組織、つまり自分達は完全だ!ということである。
TV・メディアの人達は「自分達の体制」を客観的に評価し、自己反省をした事があるのだろうか?
過去も将来も、どの世界でも「完全無欠な組織」などありはしない。
従って、自分の事は「脇に置いて」人の事は言えないのである!
ところがTVだけは、厚顔無恥で、無神経で、独善的で、そして高圧的である。

また、何か起きると、きれい事を言い、この世の中は「メルヘン」の世界の切り口で放映する。
つまり、自分だけが「良い子」で居たいだけである。
・・・本当は何もかもよく知っているし、分かっているのである。
これなど最大の無責任である。
差別用語、禁止用語を自ら作って、それで世の中から差別が無くなると、本気で思っている。
「石川や浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の絶えることなし」という事を知らないのだろうか?
TVを見ていると、真実は伝えない(伝えられない)、どこも横並びの幼稚な内容の放映だ。

腰を据えて、社会の問題点や深層部を深くえぐり、改革案を提起するような放映を見たことがない。
どの局も内容は「金太郎飴」で、(一見心配そうにして)正義感ぶって、ブームに乗り騒ぐだけである。
あるいは、どこのチャネルをみても「芸NO人」同士でふざけあうのを番組として放映している。
そうでなければ、ゴルフと野球の中継を延々と流している。
国民全てがゴルフや野球やサッカーが好きで、見たいのではない!

TVの役割はもっと他にあると思う。
とにかく莫大な費用と時間と「電力エネルギー」を使っているのだから・・・
制作費が少ないから、時間がかけられないから、視聴率が第一だから・・・色々理由はあろう。
しかし、適切な番組が用意できないなら、放送を休んでもよいではないか。
東日本大震災の時、電力事情が逼迫した時も、世間では電力制限したが、TVは放送を止めなかった。
(一見心配そうな態度で)自分たちだけは「かやの外」で、莫大な電力を消費し続けた。
こんな時こそ、堂々と国民に理由を述べ「放送時間の間引き」をやるべきであった。
TV放送を止めたら、視聴者のTV消費電力と併せて、大幅な電力カットになる。

しかし、福島と東電を野次馬根性で延々と流しただけだ! これで何もよくなっていない。
知らせる役割、報道の役割があると言うなら、事故の時、放射能から逃げる方向ぐらい流したか?
危険な方向に逃げた人も居る、生命に関する事なのに「TVは何も」情報を流さなかった!
後から「ゴタゴタ」言っているだけだ。
こんな頼りないTVなど要らない!
とにかく、TVを見ないことである。

私なりのTV改革案がある。
1.芸能ネタ、芸能関連を放映しないこと。
2.若い層に「媚びる」内容の放映をしないこと。
3.現実と真実を、ごちゃまぜにせずに整理して分離し、きれい事ばかりを放映しないこと。
4.低俗番組を自ら締め出すこと。
5.謝罪会見を放映しないこと。・・・何も解決しない
6.「おっかけ」や「ぶらさがり取材」を自粛し、建屋・道路を長時間占領した取材は止めること。
7.一過性を廃し、腰を据えて深層部をえぐるような報道をすべき。
8.国民の教養を深めたり、質の高い娯楽番組で「国民が成長」するような放映をすべき。

そして最も重要なことは、放映内容に関する「国民の監視・評価」制度(官は排除)を作るべきである。
(おそらく自浄作用は無理だと思うので)
以上のように思うぐらい近年のTVは酷い。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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