『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.6 一隅を照らす

投稿日:2013/09/02 投稿者:大西秀憲

政治家は国民のレベルを映す鏡と言われる。
「この程度の国民にはこの程度の政治家」と言われることもある。
日本の政治家を見ていると、いかにも「レベルが低すぎる」。 レベルとは「識・智・仁・勇・徳」である。
しかし、彼らはとっくに「それを見越している」のだ。
(国民のレベルは、自分達よりもっともっと低いことを、彼らは充分知っている)
従って、彼らの方が一枚も2枚も上である。

選挙を見ると分かる。 
選挙カーが横を通る時などは「耳がガンガン」する最大音量で「名前を連呼」するだけだ。
選挙期間が終わりに近づくと「泣き」が入る。 曰く、私を「男にしてくれ!」という
只ひたすら、それだけを「がなりたて」車で走り回る!
中には奥さんまでが「泣きながら床で土下座」する。
   ・・・何で立候補(つまり本人の就職活動)する本人以外に奥さんが関係あるのだ?
(主人の代わりにハローワークの窓口に行って、主人の就職先を依頼する馬鹿はいない)
やっている本人は真剣のようだが、新喜劇かドタバタ喜劇のように見える
これでも世界の文明国か?と思う。

選挙に出る人は「自分では立派な人間」だと思っている、しかし国民は「そう思っていない」
皆同じことを「わめいて」いるが、よく聞くと「中身は空疎」だ、ほとんど内容が無い。
大体、自分で国を何とかできると思っている神経が信じられない!
日本は角から角まで官僚・役人が全てを動かしている。 これは江戸時代からほとんど変っていない構図である。
官僚・役人は一生の仕事として腰をすえて取組んでいる。
政治屋は選挙の度に「あっち」に付いたり、「こっち」に付いたり、節度も見識も道徳も「あったもんじゃない」連中だ。
要するに「当選=就職」したいだけである。

なぜ?当選したいか?
答えは簡単、いい加減なことを言いながら「楽に暮らしたい」からである。
要するに自分の「特別就職活動」が選挙なのだ。
自分の就職のために税金を使い、沢山の人を動員して「就職の手伝い」をさせているのである。
こんな良い、恵まれた「就活」があるだろうか!

例えば、国会議員は約730人居るが(730人/1億2700万人)、極めて極めて少ない人数の職業である。
日本の全人口の中で僅か730人弱しかいない職業集団は他に無い。
丁度それは「平安時代の貴族」と同じである。 貴族は消費するだけで、何も生まない「特権階級」である。
要するに「国会議員=貴族」と見れば、非常に分かりやすい。
   ・・・平安貴族の世襲制と同じである、 従って政治屋も世襲が多い。

口を開けば「国民の・・・国民が・・・国民に・・・」と、のたまうが、実は自分の欲しか頭に無い。
それが、つい口が滑って「ポロッ」と出てくるのを失言と呼んでいるが、これが実は「本性・本音」である!
こんな連中など不要だ!と言ってみても、彼らは「民主主義の道具」なのだから、必要不可欠なのである。
ここに良識ある国民の大いなる「ジレンマ」がある。
一番いけないのは、普通の社会人経験無しに若い内から政治屋になった人達である。
「適当な人のあしらい方」と「誤魔化し方」と「平気で嘘のつきかた」これだけを身に着けて年をとる。
錬金術マジックをマスターし、その金で多くの政治屋を従えるのを「熟練・老練・辣腕の実力政治家」と呼ぶ。

冗談ではない。
以上が国民には「うすうす分かっている」から、選挙の投票率は異常に低く、しかも毎回下がっているのだ!
かくして、「この程度の国民に、この程度の政治屋」となった次第。
本当に政治をやってほしい人は政治に出ず、自分の欲でやりたい人が選挙に出る、ここが一番の矛盾である。

政治屋に比べたら、実業界・産業人の「何と立派なことか!」
これで日本は持っている。
政治屋などに頼らず、当てにせず、しっかりと国の屋台骨を支える使命感が大切だ。

人知れず「一隅を照らす」ことが最も尊いと思う。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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