『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.19 発明家と技術者

投稿日:2014/10/02 投稿者:大西秀憲

「似て非なるもの」という言葉がある。
これは、「二つのものは見かけはそっくりだが、本質は全く異なるもの」を表わす言葉である。
例えば、蝙蝠と鳥がそうである。
夕方、蝙蝠が飛んでいるのを見ると鳥と見間違う。
しかし、蝙蝠は鳥類でなく、哺乳類(つまり動物)であり、鳥のように飛ぶが、蝙蝠は鳥ではない。
従って、蝙蝠の本質は「空を飛ぶことができる哺乳類」である。
人々は両者をちゃんと区別している。

政治家と政治屋もそうであり、一見同じように見えるが「似て非なる」ものである。。
TVに出たり、街頭でしゃべったり、書いたものを見ると(本質は現れないから)両者は同じように見える。
しかし、両者は全く異なるものである。
やっかいなことに、人間は言葉を持っているし、文字を持っている。
これを駆使すれば(本質を隠して)完全に理想的な姿を演出することができる。
演出した姿を見ると、もの凄く立派に見えるし、喋りを聞くと「何と立派な人か!」と思える。
しかし、政治家とは頑とした信念があり、私利私欲を持たず、天下国家への理想を持っている人だ。
一方、政治屋は政治を生業にして(額に汗せず)、高いステータスと安定した高収入に胡坐をかいている人だ。
残念なことに両者は一見して識別ができない。
(言うまでもなく、国家国民に必要なのは「政治家」であり、政治屋は不要である)

世に「20−80の法則」と言うものがある。
(これほど、ありとあらゆることを的確に表わすものはないと思っている)
この法則によれば、政治家は議員全体の20%であり、残りの80%は政治屋である。
480名の国会議員(衆議院議員)だと100名が政治家=代議士である。
(参議院は不要だと思っているので省く)・・・なぜなら参議院議員を代議士とは言わないからである。
50名の市会議員だと10名が本質で、50名の県会議員では40名が政治屋だと言うことになる。
近年、これを見事に国民に見せてくれたのが「兵庫県の野々村議員」である。
政治屋=偽者を国民の前に見せた彼の功績は非常に大きく、今まで高禄を食んでいた罪を帳消しにして良い。
普段立派なことを言っているが「本質はお粗末な人間の屑だ!」と言う事を「現実・白日の下に晒した」のである。
「本当によくやってくれたと」礼を言いたい。  ・・・野々村さん、ありがとう!!

反面、気骨ある本当に立派な政治家=代議士がいるのも事実だ。
古い話になるが、大平内閣時代の「伊藤正義代議士」に政治家を感じた。
残念なことに近年、本物の政治家がだんだん少なくなっている。
それに反して「一見立派に見える政治屋」が増えているのである。
両者は本当に「似て非なるもの」である。

産業の世界でも、また同じことが言える。
それは「発明家」と「技術者」である。
よく混同されるが、両者は全く異なるものである。
技術者は英語ではエンジニアだが、それは元々「蒸気機関の操作員」を表わす職業名称である。
蒸気機関をエンジン(Engine)と言い、そのEngineにer(人)がついたものがエンジニアである。
技術者は、現在では「理論を現実化」する人、開発・改良する人、または職業名称であり、現実主義者である。
当然、技術者は理論武装しており、その分野の知識と実践の蓄積がある。

一方、発明家は英語でInventorであり、現実主義者ではない。
それは、必ずしも理論を必要とせず、空想・想いつき・ヒラメキ・天分、的なウエイトが強い。
従って、技術者は育てることが出来るし、その気になれば雇用・採用することができる。
そして採用試験も現実に即して実施し、採点することができるものである。
しかし、発明家は育てることができない!  更に、雇用・採用することもできない。
なぜなら、そんな「秘めた能力」を持っているか否かを探る方法が無いからである。

技術者は突拍子も無いことを言ったり、絵空ごとや空想的なことを言っても使い物にならない。
例えば、仕様書に示した機能を満足する「電子回路」を設計せよ!との指示に対して、口での能書きは不要だ。
いくら口で立派な事を言おうが、実際に回路図が書けなければ技術者ではない。
ここでは突拍子も無い設計は無く、セオリー通りの「身に付けた理論と叩き上げた実績」が全てである。
要するに、技術者は「できるのか? できないのか?」である。

一方、発明家はセオリー無く、叩き上げも不必要、理論さえ不要であり、場合により邪魔になることさえある。
まじめだから良い発想ができる訳でもなく、実践と経験により、人が驚く発想ができる訳ではない。
従って、発明家の頭の中の回路は作れない。
  ・・・技術者の頭の回路は教育と訓練と実践経験で作ることができる。

このように「発明家」と「技術者」は全く異なり「似て非なるもの」である。
世の中を良くするためにどちらも欠かせないが、両者は異なるものであり、ちゃんと認識すべきである。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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