『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.28 本質を掴む

投稿日:2015/07/01 投稿者:大西秀憲

人間の脳には「右脳」と「左脳」があり、夫々「感性」と「論理」を担っていると云われている。
感性と論理は相反するもので、これが一人の人間の中に共存しているのだから複雑である。
両者はどちらが上か、下かと云うものではなく、優劣も序列もない。
人間にはどちらも必要である。
ところが、面白い事に「感性と論理は人によって強弱」がある。
要するにどちらかが強くて、どちらかが弱いのである。
   ・・・これによって様々な人間模様が展開される

感性は別の言葉では「感情」、「感覚」、「感じ」、「思いつき」、「ひらめき」などがある。
   例えば、製品のデザインを決めるのは「感性」である!
     ・・・デザインは理屈ではない。

一方、論理は「理屈」、「道理」、「筋道」などがある。
   例えば、製品の設計は「論理」である。 ・・・理屈が成立しない設計はありえない。
     また、製品の事故(欠陥)が起きた場合の対策・改善は「論理」である。
       ・・・感性や感情や感覚では製造上の事故対策はできない。

「感性と論理」要は、これをどこで使うか?が問題だと思う。
芸術、芸能、音楽、美術・・・の世界では、何より「感性」が重要だろう。
一方、数学、科学、技術・・・の世界では、何より「論理」が重要である。
私は永年ビジネスの世界で生きてきたので、両者をビジネスの場で比較してみる。

ビジネスの世界では感覚も重要だが、理屈はそれ以上に重要だと思う。
例えば、「感じ」だけでは進歩しないのである。
   ・・・なぜなら、感じだけでは「本質が見えない」のである。
「本質」を的確に捉えることは、最も重要なことだと私は思っている。
ところが、世の中の多くの人は「物事の本質を捉えていない・・・捉えられない」のである。
   ・・・ビジネスの世界で生きる人にとって、これは致命的である。

別の言葉で言うと「枝葉末節」だけ見て(これに拘って)「根や幹を全く見ていない」のである。
こう云うと「そんなことはない!いつも見ている!」と云うかも知れないが、それは単に「Look」である。
要するに、意識して注意深く観ていないのだ。
   ・・・従って、何も見えていないのと同じなのだ。

私流に表現すると、「感性=装飾」であり、「論理=本質」である。
人間は本質が見えないと進歩(成長)しない。
   ・・・つまり、「何が重要で?」、「何が付録か?」が区別できないのである。
(要するに、ミソもクソも一緒にするのである)

「物の道理、理屈」を考えると「本質が見える」ようになる。

「本質を見る(掴む)」ことは本当に大事なことである、なぜなら「的はずれ」や「ピンボケ」を防ぐためである。

「装飾」VS 「本質」 ・・・これを絶えず頭に置き、自問自答することをお薦めする。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。