『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.29 確率の問題

投稿日:2015/08/03 投稿者:大西秀憲

大きな事故、事件が起きると大騒ぎするが、必要以上に騒ぎ、煽りたて、無責任な行動を取るのがメディアである。
それは報道を隠れ蓑にした野次馬である。
少し時間が経つと、報道内容の中心は「情緒的」なものに変わる。
情緒的な内容には、残念ながら「反論できない」・・・なぜなら、それは人間の感情(心の問題)だからである。
これを良いことにメディアは「毒にも薬にもならない感情論」を延々と報道する。
お叱りと反論を承知の上で書くが、お涙頂戴の感情論や情緒では、全く何の前進も改善にもならない!
従って、もっと基本的な事を「論理的」に捉えて対応すべきである。

事例では: 東日本大震災の津波
        新幹線内の焼身自殺
         調布飛行場近くの墜落・炎上事故

大騒ぎの議論は、概ね「なぜ起きたのか?」と「安全対策」へと向かう。
  (なぜ起きたか?の議論は、一見尤もらしいが、これほど意味の無い議論はない)

例えば:
  津波はなぜ起きたのか?の無意味な議論。
  そして、津波対策・・・「防潮堤」建設・・・高さでは防げない・・・なぜなら高さは人間の経験則しかないのである。
    また、高さ設定では「条件」が必要・・・条件は人間が経験した科学に基づくだけのことだ。
       しかし、災害・津波は自然(地球) ・・・人間は自然には勝てない。
地球の歴史は約57億年
   1000年に一度の災害を想定しても全く意味が無い。
     10万年に一度、100万年に一度、一億年に一度の災害は「今、起きるかも知れない」・・・これが自然
このような頻度の自然災害には、人間が贖うすべがない。
   従って、巨大津波を想定した防潮堤など自然の大災害には意味を成さないのである。・・・景観を損ねるだけ!
では、どうすればよいか? ・・・ひたすら逃げることである。

もう一つは、危険が予想される所には住まない、近づかない、ことである。
   そうはいかない場合、どうすればよいか? ・・・起きたら「運が悪い」と諦めることである。
一人の人間が生きている間に一度起きたら運が悪い、起きなければ「もうけもの」 ・・・この感覚である。
       津波が怖い、イヤと思うなら「海に近づかない」ことで、山に住むことである。
         (現に、明治には三陸大津波で20000人以上犠牲者が出たではないか!)

例えば:
新幹線で死亡事故が起きたから、対策として「手荷物検査」実施の検討をするという
なぜ?そんなことを検討するのか?
  (言うまでも無いことだが、巻き添えで亡くなられた方はお気の毒なことで、ご冥福を祈るのは無論である)
問題は「焼身自殺」が起きる頻度である。
一日に1回程度、焼身自殺が起きているなら、話は別だ。
  しかし、半世紀で初めて起きた事件だ
    これが起きる確立を考えてみると分かる。
こんな率でも表わせない「天文学的確率」で起きる事件のために、圧倒的多数の人が「犠牲を払う」必要はない。
  (もし自分がその場に遭遇したら、「運が悪かった」と諦める)

新幹線が動いて半世紀以上、毎日どれだけの列車が動き、乗客が利用しているか!
「速さ」と「利用の手軽さ」と「正確さ」が新幹線最大の売り
  手荷物検査=セキュリティ チェック=煩雑・コスト高・・・何も良いことなどない
とにかく大事なことは、「その事故・事件」がどの位の確率で起きるか?」を冷静に見ることである!

例えば:
調布飛行場近くで墜落事故が起きたから、その対策として飛行場を「飛行禁止」にしたいと行政の長が発言した。
  飛行禁止など、とんでもないこと。・・・国家100年の計を考えるべきだ!
世界の動きは「飛行場のアクティブ化」・・・自家用飛行機の普及が21世紀だ! ・・・アメリカの例を見れば分かる
  つまり、次世代は個人が空に向かう時代である。
    そのために、どんどん「飛行場の発着枠を拡大し、利用規制を撤廃すべき時」なのである。
(日本に自家用飛行機が普及しないのは飛行場の規制が強いからである)

メディアの映像で、付近の住民がアピールしていた・・・ 「落ちたら危ないから飛行場を閉鎖しろ!」
  一つだけ聞きたい! 「あなたは飛行場ができる前から、ここに住んでいたのか?」と。
    ・・・おそらく、ほとんどの住民は、飛行場があるのを承知で、後から住んだ人ではないのか?
        ならば、飛行場付近はうるさいし、落ちて事故に巻き込まれることも、承知の上ではないのか?
空を飛ぶものは、運が悪ければ「落ちる」こともあるのだ。 ・・・鳥でも時々は羽を休める

問題は、飛行機事故の起きる頻度である。
     毎日、1機が落ちていれば、これは問題である。
        今回の事故の確率は、極めて極めて低い。
          (宝くじの1等が当たるより、はるかに低い確率である)

では、どうすればよいのか?
  起きたら「運が悪いと諦める」ことである。・・・それ以外にはない
     もし、それがイヤなら、飛行場の近くには住まないことである。
  (火山の近くに住んでいる人が、いつか起きるかもしれない噴火・火砕流を覚悟しているのと同じ)
     火山は怖いが、普段は「温泉利用」の地の利があり、住民は享受している

以上書いた共通項は「確率」である。 ・・・それが「どれ位の頻度で起きるのか?」が物事の本質である。

特に「地球規模の自然災害」に対処しようとするのは「人間の思い上がり」だ。
  5,000年に一度や10,000年に一度の自然災害をどう捉えるか?
    しかも、起きるか?起きないか? 分からない事に金をつぎ込むのである。・・・これは全くのムダである。
技術論や政策論でいくら考えても無理。
地球規模で起きることは、どだい人間が予測不可能なのである。・・・従って防ぐことは無理である。
  台風が来たら進路を観測して報道するだけであり、「進路を変更」することは、人間にはできない。
    東大卒の偉大な科学者がいくら沢山集まっても地震が起きる場所と日時の特定はできない!
      要するに、人間のできることと出来ないことがある。

「逃げること」と「諦めること」、これも重要である!
   (現に三陸では「村ごと逃げて」、一人の犠牲も出さなかった村があるのだから、良い例である。)

とにかく「天災は忘れた頃にやってくる」のである。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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