『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.30 何が間違っていたのか?

投稿日:2015/09/10 投稿者:大西秀憲

農業ボランティア人気があり、年々増えているそうだ。
  都会で働いている「若い人達」が、縁もゆかりもない田舎に行って、農作業を手伝うのである。
    当然、田舎には何もない(都会の生活とは比較にならない不便な環境である)し、辺境の地が多い。
要するに、若者には「田舎への憧れ」がある。
  畑で野菜を作り、田んぼで米を作り、それを食べる。
    全く異なる都会生活をしていると、「人間の原点」とも云うべき農業が「新鮮」に感ずるのだと思う。

また、若い人達に「インド人気」が強いという。
インドに憧れて、バックパッカーでインドを旅する人は多い。
聖なる川の傍で死体を焼き、そのすぐそばで洗濯をしたり、食べ物を洗ったり、沐浴と称して泥水につかる。
家畜と共に生き、糞尿と入り混じった未開発の道路、先進国の人間は絶対に飲めない水、貧困と劣悪な環境
「彼の地」で、この経験をすると若い日本人はインドフアンになるという。
どうも日本の若い人達は、そこに「人間の原点(人間らしさ)」を見るのではないか?と思う。

以上書いた二つの現象は「昔懐古」である。

約70年前(戦争に負けた頃)は、日本人の職業は「農業が8割」であった。
農業と云っても現在の農業ではなく、4~5反の田畑を「一所懸命」耕作するのが全国標準だった。
得られるものは少なく(従って生活は苦しく)、要するに日本中が貧乏だった。
どこの家庭も現金収入がないから、ほとんど自給自足の生活であった。
   ・・・家の造りまで、どの家もほとんど同じであった。

そのころの田舎の農家の生活環境と云えば(私が育った家):
  家畜(牛・馬・鶏)と同居(家の玄関の右横が牛の部屋)、鶏は縁側の下で飼っていた。
    便所は「汲み取り便所」(通称ボッタン便所と云う)・・・要するに、下の穴に糞尿を落とすだけ。
     ある程度溜まると(溢れるので)、肥たごに汲み取り、これを畑に撒くのだ(これを肥え持ちと云う)
       「田舎の香水」とは、これを称したものである。
  水は全て「つるべ」で水汲みをした・・・水道など無し(因みに水道が出来たのは、私が24歳の時だった)
    桶に水を汲み、1杯ずつ風呂に入れて満たすのは、大変な仕事(これらは子供の役割)
      炊事の水は「素焼きの水瓶」に汲み置いて使っていた・・・素焼き水瓶の水は不思議に腐りにくい

  炊事と風呂の燃料(薪)は、全て山から取ってきた(冬の期間に1年分をプールするのだ)
    ガスなど無かったので当然であった。 ・・・因みにプロパンガスが普及したのは私が高校生になってから)
      一言で1年分の薪をプールすると言うが、それは実に過酷な仕事だった。
        とにかく、12月から3月まで、明けても暮れても山に行って薪を作るのである。

  家の照明(灯り)は裸電球1個、そしてラジオ(並4か5級スーパーが標準)程度。
    もちろん、家電製品など皆無であった。・・・田舎ではどの家も似たような状態だった。
      しかも、電気は頻繁に停電した。
田舎の農家の生活環境は、以上のようなものだった。・・・おそらく全国的に似たようなものだったのでは?
  (夢のような生活を全て手に入れた現在の日本の若い人からは、想像もできないだろうと思う)

その頃の「給与生活者は1割弱(9%)」だった。
今でもはっきり覚えているが、小学校4年生(昭和32年ごろ)の時、担任の先生が教室で皆に尋ねた。
  ・・・お前らの家で、親が「毎月給料」を貰っている者は手を上げてみ!
       そうすると、クラス55人の中で「5人」が手を上げた ・・・当時は1教室55人だった。
つまり、給与所得者の家庭は1割にも満たなかったのである。
  毎月、給与がある家は、それほど少なかった。・・・この家は即ち、当時としては恵まれた家庭

では、残り9割の家庭は、どうしていたのか?
  ほとんどの家庭の父親は「山仕事」か「日雇人夫」・・・それは乏しいが唯一の現金収入だった
    従って、物を買うことは極まれである。
      肉・魚はめったに無し。
        久しぶりに肉といえば「鯨と水菜を煮たもの」
          ・・・まれに、玉子を産まなくなった「家のニワトリ」をつぶした鶏肉

・・・生まれて初めて「バナナ」を食べたのは高校2年(昭和39年)姫路日赤病院に急性盲腸炎で入院した時だった。
    (隣りのベッドにいた「見知らぬおじさん」が恵んでくれた)
       本の写真では知っていたが、食べたのは初めてで「世の中にこんな旨い物があるのか!」と思った。

そこで「おらあ こんな生活はイヤだ!」と日本人は奮起した。
  ・・国の主権・国の基本、外交、防衛、民族自立の教育、道徳教育・・・全てを放棄して生活向上に邁進した!
なりふり構わず、死に物狂いで働いた。
日本全国の農民が「工場労働者」や「都会のサラリーマン」に変身した!
  ・・・「金があれば、何でも買える!」目の色を変えて、「何かに取りつかれたように」金に走った。
それは、2度と「あんな田舎とあんな惨めな生活に戻りたくない!」と云うのが、国民の一致した考えであった!
  ・・・かくして、農民は激減し、都会生活者は激増した。
1億総上昇志向で猪突猛進! そして奇跡の高度経済成長を果たし、経済だけは世界第二位となった。

家畜と同居はイヤだ! ニュータウンの公団住宅に住みたい! 一軒家・マイホームを手にしたい!
  山から薪を取ってくるのはイヤだ! ガス・パッチンで炊事・風呂を使いたい!
    ボットン便所は(おつりが来るから)イヤだ! 水洗トイレが好きだ! 更に「ウオッシュレットだ!」
これらを共通の目標として、日本中の「日本人は必死に働いた」のである。

そして、世界中のどの国もできない「夢のユートピア」と言うべき国を作った。
とにかく、「おじいさん」、「おとうさん」が(何も疑わず)必死で働いたのである。
  ・・・「子供」や「孫」から、当然「感謝されるだろう」と思って。

ところが「その子や孫」が「世界が羨む夢のユートピア国」を否定しているのである!
  ・・・何という矛盾、皮肉、悲劇であろうか!!
       何のためにお爺さんやお父さんは必死に働いてきたのであろうか?

しかし、若い人達は「何か」を感じているのではないか?と私は思う。
つまり、夢のユートピアには無い「何か」である。
  戦後「国のあり方、民族の誇り、歴史の重み、教育の基本、国民の義務と責任、倫理と道徳など」を置いてきた。
これらが日本には全く無い状態が醸し出す不自然な雰囲気を、若い人達は敏感に感じるのではないか?
近隣諸国にバカにされ、弄ばれても「へらへらするだけで何も言わないし、何もしない!」
唯一「友達」だと思っている「かつての敵国」からは「完全に子供扱い」されて、それでもまだ「すり寄っている」国。

一人前の国なら「しゃんとせんかい!」と感じているのではないか?
私は、それは日本人が豊かさの追求と引換えに「忘れてきたもの」、「捨ててきたもの」のような気がする。
少々不便・不自由で物が無くても、満たされた心が大事だよ!
「金が全て」で「最も大事な物を捨て去ってきた」お爺さん、お父さん、国、への「若者達」からの警鐘だと思う。

そろそろ「日本と日本人を見直す」時期が来ているのではないだろうか?

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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