『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.32 手を動かす

投稿日:2015/11/02 投稿者:大西秀憲

世の中を眺めると面白い事に気がつく。
それは、言うだけの輩、パフォーマンスだけの輩、人を利用するだけの輩、表面を舐めるだけの輩、が実に多い。
   つまり、どんな些細な事でもよいから、自分で手を動かしている人が実に少ないのである。
これは一体、どう云うことだろうか?
   ・・・日本は世界に冠たる物作りの国ではなかったのか?

日本には約50万社の物づくり中小企業(製造業)があるそうだ。
   これは、各都道府県に10,000社という勘定になり大変多い。
      その内、多くの企業が都市に本社を置いているが、中でも東京のオフィスビルは圧巻である。
しかし、よく見るとビル内で物を作っている訳ではない。
   ・・・隙間無く林立するビル群の中では、極めて多くの人が働いているが、仕事は物づくりではない。
製造業なのに、物づくりではない(つまり手を動かさない)人が多くいるのである。
  ・・・更に言えば、製造現場よりは遥かに快適で便利な環境で働いているのである。

起源を辿ると、製造業は全員が手を動かしての物作りであった。
  いつの間にか、製造業に於いても、手を動かさない人達が多くを占めるようになっていったのである。
     製造業だのに、全く手を使わず、動かさない人が実は多数なのである。
物づくりは自分で自分の手を動かさないと、コツやツボやノーハウは絶対に分からない。
   ・・・これらの経験が無い人は、どうやって物づくりの議論をするのだろうか?

「頭だけ=言うだけ」の人が、実は多数を占めるようになったのが日本の物づくりの実情である。
政治の世界ならそれでもよい
   ・・・例えば、M党の「言うだけ番長」など典型的な例である。
しかし、物づくりは経験によるノウハウと永い時間の積み重ねから成り立つものである。
   ・・・Mrマリックが指を鳴らしたら「物が一瞬で出てくる」のはマジックである。
物づくりの基本は、一つ一つが手を動かしてする地道な作業である。

世の中には「能書き」を滔々と云う人がいる。
  そのような人に限って、実は自分では「カマボコの板に釘すら打った事がない」人が多い。
云うだけ言って、出来るのなら、車の運転も本を読めばできる。
   ・・・しかし、現実にはベラベラ喋るだけでは「自転車すら乗れない」のである。
つまり、「能書き」だけなら誰でも言えるのである!

日本トップレベルの工業大学・工学部の著名な先生から、こんな話を聞いた。
  「最近の学生は手を動かさない・手を使わない」
    だから、教育は先ず「手を使って実験機材を作ることから始める」と言われていた。
工学部の学生=物づくり企業の技術者候補である。
  その要員が「手を動かさないで勉強」をするのは、座学だけで「自動車運転免許」を与えるに等しい。
とにかく、工学部の基本は「自分で手を動かして作る」ことである。
   ・・・これが疎かになると工学部の存在価値がない。
本来は工学部の勉強は「手作り」が基本
  そして本来、工学は「泥臭い」行為の積み重ねなのである。

しかし、現在の大学工学部の「指導者が手作り経験なし」が増えている。
  なぜなら、最近は「金で何でも買える = だから作らない」のだそうだ。
更に、「パソコンの出現=工学部の堕落」だと私は思っている。
  下手くそな字で手書きのレポートに比べ、パソコンで作成したレポートは実に立派に見える。
しかし、中身は変わらないのである。
  また、パソコンで一瞬にして調べるより、時間がかかっても「図書館」で調べると身に着く。
今のままでは工学部は物づくりの役にたたなくなるだろう!

そこで、私の工学部改革案がある!  それは工学部の学生にPCを使わせないことである。
   ・・・そして、手作りによる実験を繰り返し行うことである。
物づくりと大学・工学部について書いたが、とにかく「手を使う」ことである。
  手を使えば「智慧」がでる。
つまり、自分の手足を使って生きること。 ・・・これが人間の基本である。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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