『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.34 最近思ったこと

投稿日:2016/01/22 投稿者:大西秀憲

1.「初詣」
 今年の正月も近くの神社は賑やかだった。(正確には大晦日の夜)
 私の住まいは姫路の「総社」近くにあるので12月31日の深夜から大勢の人々で大賑わいの様子が見えた。
 ・・・感覚だが賑わいは年々派手になるように思える。
     (それは、国道2号線まではみ出した行列の長さでの比較)
 姫路の総社は姫路城近くの東南にある神社で、正確には「射楯兵主神社」という。
   ・・・本殿前で礼拝するには長蛇の行列に並び、寒さを堪えてひたすら牛歩で長時間待たねばならない。
 それでも人々は集まる。
 たぶん「少しでも人より先にお参りする!」ことで「人より多い御利益を期待する!」ことにあるのだと思う。

 私は非常にこれが不思議である!
   総社の近くにこれだけ多くの人が住んでいるとは到底思えないからである。
     ・・・つまり、多くの人は遠くから来ていると思っている。

 そもそも初詣とは、「氏子が土地の氏神さんに新年のご挨拶をすること」を言う。
   なぜ?氏子でもない人が縁もゆかりも無い神さんに新年の挨拶をするのだろうか?
 それどころか、おそらく深夜に集まった人のほとんどは、自分の氏神さんに、お参りしていないと思う。
   ・・・氏神とは「自分が今住んでいる土地の神様」のことである。
 「氏神さん!氏神さん!どうぞ今年1年もこの土地が穏やかで、安心して暮らせますように!」と祈るのが初詣だ。

 それを度外視して、深夜から遠くの神社に行くとは「怪しからん奴だ!」と氏神さんが怒ってもおかしくない。

 「今年の初詣はどこに行った?」の会話があたり前の如く行われている。・・・実に不思議だ!
   ・・・初詣は旅行やレジャーや行楽ではない!
  考え違いをしているのである。
    こんな邪(よこしま)な人間の願いなど神さんが聞く訳がない! (しかも5円や100円の賽銭で)
      「ええかげんにせんかい!!」と神様は思っている。

 とにかく今、自分が住んでいる「土地の神様」を大切にすることが肝要である。
    これを守ると、自然と神様は守ってくれる・・・
 ぜひ、来年から実践してほしい!

2.喪中はがき
 毎年11月末から12月になると「喪中のはがき」が届く。
  「喪中につき年始の挨拶を遠慮する」との連絡葉書きである。
    ・・・要するに、私は年賀葉書きを出しませんよ!だからあなたも出さないでね・・・との意味である。
         それはそれでとやかく言うことはない。
 しかし、私は非常に気になることがある。
   ・・・それは最近、「喪中の範囲がうんと広がっている」ことである。

 例えば、喪中はがきの内容、「今年1月に妻の祖母が92歳で亡くなりました・・・・」の文面。
   なぜ?これが年賀を欠礼するほどの「喪中」なのだろうか?
     ・・・私は、これが全く分からない。
 姻族の祖母(見たこと無いかもしれない人?)でしかも92歳!(本来なら天寿で祝いもありの事)そして1年前。

 この人は妻と一緒に、約1年間も、その人を偲んで「喪に服していた」とでも言うのだろうか?
   ・・・おそらく、頭の隅にもなかったのではないか?

 それが、年賀状作成のシーズンになって「そう言えば、今年はお前んとこの婆さんが死んだな・・」と思い出した。
   それで、「喪中はがきを出しておこう!」となるのだと思う。
 どだい、今のご時世で1年間も喪中が続く訳がない。
   せいぜいが「49日」である。・・・従って、10月、11月の喪の発生だ。
     それも「自分の親か配偶者か子供」程度の範囲でなら、喪中はがきも理解できる。

 喪中はがきの人が、正月も祝わず、ひたすら喪に服した新年を過ごすと言うのであれば理解できる。
   しかし、上記の人は「おそらく初詣に行っている」と私は確信に近い思いがある。・・・たぶんその妻も一緒。
     ・・・これが「何で喪中はがき」なのか?。
 全く「支離滅裂」なのである。
   今年から「何でもかんでも喪中はがきを出すのはやめよう!」・・・(1親等の場合だけでよい)
 そして喪中はがき出したなら「初詣」行くな!
   (喪中は「穢れているから」神様には近づかないのが理なのである)
 それはそうと、喪中はがきに「なるほど」と思うのがあったので紹介する。
   ( 喪中に付き年賀を欠礼します、ただし「あなたからの年賀状はぜひお願いします」 )と書いてあった。

 私は、それを見て嬉しくなった、そしてその方の人柄がアップした。

3.「お飾り」
 正月のお飾りが年々派手になっているように思う。
   年に1回だから!正月だから!高くて大きいのが御利益が大きい!、とでも思っているのだろうか?
 とにかく売っているのは大きくて立派なのが増えているように思う。
   ・・・言っておくが、飾りなどの大きさでは何も左右されない!
 中には「生の松ノ木」を半紙で包み、みづ引きをかけた「立派な松」が飾られているのを見かける。
   私は「生の松」を伐採して、僅か15日のために飾るのは「いかがなものか?」と思う。
 中でも酷いと思うのは「根が付いた松」が使われていることである。
   とんでもないことだと思う!
 そんなことから私は、今年から「しめ縄・お飾り」を止めた。

 但し、日本人として新年・正月を祝うことは大変重要で不可欠なことであるから、見えるお飾りは必要だ!

 そこで私は「和紙に松の絵を描いて」玄関に貼った。
   これで十分であると自己満足したのである!  ・・・たぶん、神さんも「そう思っている」事と思う。

 来年から、高額な、しめ縄・お飾りを「見栄で買って飾るのは止め」にしませんか?

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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