『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.39 日本の7年間の空白

投稿日:2016/06/01 投稿者:大西秀憲

残念ながら、日本の現代歴史には「約7年間の空白」がある。
   この間、日本は「日本であって、日本では無かった」
      ・・・それは、1945年(昭和20年)9月2日~1952年(昭和27年)4月28日のことである。
昭和20年9月2日、日本は連合国と降伏文書に調印した。・・・文書は正式には「停戦(休戦)協定」である。
   これで正式な終戦となった。
      ・・・従って、8月15日は終戦日ではない。 ・・・ポツダム宣言を受諾する意思表示をした日である。

この調印によって、日本は連合軍(実質はアメリカ軍)が占領、軍(GHQ)の管理下に置かれた。
   つまり、日本の3権および天皇の上にGHQが存在することになった。
      ・・・従って、この日以降の日本はアメリカ軍の軍政下にあった被占領民族で、従って独立国ではない。

非常に不思議なことに、この状況下で「新憲法が作成・制定・発布」された
  (他国軍の占領下で制定された憲法は国民の民意も国の主権もない中での制定・発布であるから無効である)

これ以降、昭和27年4月28日、サンフランシスコで戦勝国との間で講和条約が調印されるまで軍の占領が続いた。
この条約調印で、やっと「日本は独立国」と認められたのである。
   ・・・但し、沖縄・八重山諸島はアメリカ軍占領のままであり、これが昭和47年まで続く。
         (つまり、日本であるが日本ではなかった。 ・・・通貨は$、車は右通行)

この空白期が、以後の日本に様々な禍根を残している。

日本の憲法、国防、支那事変(当時は日中戦争とは呼ばなかった)に対する責任、など現在でも時として重要な
政治・外交課題となるものは、全てが同根であり日本人の曖昧さ故のことである。
   それは、戦争総括無しのままズルズルと年月が過ぎ去ったことによる。
       ・・・但し、総括しようにも出来なかったのも事実。

一つには絶対的な権力を持ったアメリカ軍の占領下に置かれていたのであるから、全て日本人が悪い訳ではない。
何しろ、占領軍は「憲法をも超越した絶対権力」だった。
   ・・・彼らは勝ったのだから当然である。
勝利軍=占領軍(実際はアメリカ軍)が軍政を敷き、その絶対的な権力による指示の元、日本が運営された。
   政治も経済も報道も芸能、文化に至るまで徹底的な言論・情報統制を占領軍=GHQが行った。

占領軍が急いだのは2つある。
 ① 戦争犯罪人を特定して処刑すること。
 ② 2度と白人国に「はむかわないよう」、日本人を骨抜きにすること。
この二つが優先された!

従って、日本人の意思で(つまり民意で)、支那事変と大東亜戦争を総括する機会が無かったのも事実である。
しかし、今から思えば日本人の手で総括すべきであったと思う。
総括すべき内容は:
 ① なぜ戦争をしたのか?
 ② どのような戦略を描いて、結果とはどう違ったのか?
 ③ なぜ負けたのか? どのように負けたのか>
 ④ 誰が悪いのか?  ・・・勝った側の戦争責任も当然ある。
 ⑤ 国際法による戦争犯罪は無かったのか? ・・・当然、勝者、敗者両方を検証して総括すべき。
 ⑥ 補償と謝罪(どの国に謝罪し、何を補償すべきか?)
 ⑦ 今後日本は、どうすべきなのか?
等々、最も基本的な事柄について。

日本は、これをやっていない ・・・もし日本が総括していれば、今の状況は大きく異なったであろう!
だから現在の中国にも、いつまでも言われる(但し、日本が戦ったのは現在の中華人民共和国ではない!)
   ・・・しかし、韓国に言われる筋合いはない。
        なぜなら、朝鮮は日本と一蓮托生で、一緒に戦ったのであるから
  そもそも当時、韓国という国は無かった。  ・・・その「無かった国」にも、色々と難癖を付けられている

一方、「ソ連」はサンフランシスコ講和条約に参加していない。
ここに、今日に至るソ連との3つの問題がある。
 ① 約60万人の強制連行と強制労働、それに伴う約6万人の致死の補償と解明
     武装解除した約60万人の日本兵をシベリアへ連行し、極寒の辺境で食糧なく強制労働させた。
     結果、約6万人が死亡
   この「非人道的な行為」に当時の日本人は抗議もできず。・・・なぜなら当時の日本は占領軍が軍政中だった。
   そしてソ連を刺激しないように、日本が使った言葉が「抑留」である。
      ・・・この訳の分からない言葉を現在も使い続けているのが日本 ・・・何だ!「抑留」とは!

 ② 樺太および北方4島の占領
    昭和20年8月15日、日本は戦闘を中止した。
    しかし、その直前に戦争に参加したソ連は、これを無視して戦闘を拡大。
      南樺太、千島列島、北方4島を攻撃、北海道上陸に迫った。
    昭和20年9月2日、連合国側と日本は停戦(休戦)文書に調印し、正式に戦闘が中止された。
      だが、ソ連はこれも無視して一方的に戦闘を続行し、日本側に数々の悲劇を生んだ。
         やっと、9月5日「樺太、国後、択捉、歯舞、色丹を完全占領後、攻撃を停止した」のである。
    日本は違法だと言っているが、国際的に見ると、ソ連が正しい。
       なぜなら文書に調印して初めて戦闘は中止される・・・・それまでは戦闘継続が常識
          この点、日本は実に甘く「国際的なお人好し」である。
              ・・・これが、現在も続いている「北方領土問題」のいきさつである

 ③ 平和条約未締結
     昭和27年連合国との間で「講和条約(平和条約)」が締結された・・・サンフランシスコ条約
    しかし、これに「ソ連は不参加」
      従って、ソ連とは現在も「戦闘停戦(休戦)中の状態」である。
    日本側は再三望んでいるが、平和条約締結に至ってない!   ・・・領土問題がネック

とにかく、敗戦直後に「戦争総括」すべきであったのだ ・・・・詳細な分析と記録を後世に残すため!
  (アメリカの凄いところは、全ての事柄を分析し、詳細な記録を公文書として後世に残している所である)
占領軍軍政下では不可能だったとすれば、独立後(つまり昭和27年4月28日)に総括しても良かった。
   ・・・これを全くやらずに、ズルズルと今日まで年月が経ってしまった
         当然、独立後の国として「自主憲法」を作成し制定することが必要であったが、しなかった!

これが日本と、日本を取り巻く国々の「悲劇の根幹」であると、私は思っている。
  ・・・この原因の全てが『 7年間の空白 』にある。

世界の非道に目を向けず、ひたすら自国の繁栄のみを享受し「メルヘン国」として進む国が、いつまで続くか???

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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