『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.47 嘘を教えたらダメだ!

投稿日:2017/02/01 投稿者:大西秀憲

何故か?歴史では嘘を教える事が多くある。
  これは何も日本だけではなく、世界的にそうである。
     要するに征服者が被征服者を葬る、又は落とし込めるのが目的である。
       これによって「征服者は自分を正当化し、美化する」のである、いつの時代もどの国でも同じである。
          従って、歴史の嘘を正面から信じてはならない。
・・・一寸待てよ?と思うのが大事なのである。

例えば、一例を上げると次のような嘘がある。・・・私は学校で、このように教えられた

嘘1.「秀吉は貧しい農民の出である」
これは勝利者の徳川が捏造した嘘である。
  羽柴秀吉は、読み書きが出来た他、計算もできたのである。
    今から約450年程前の時代の貧しい農民の子供が「なぜ?読み書きが出来たのか?」
      秀吉だけが特別努力した結果なのか?
        そうではない!
弟の秀長も見事な手紙を残しているし、教養も非常に豊かで大変尊敬された人物であり、当然読み書きができた。
   また、秀吉の妹の旭姫(徳川家康に嫁いだ)も教養が豊かであった。
      兄弟が揃って、読み書きが出来て、教養があったのである。
         当時の貧しい農民の子供がなぜ?読み書きができ、教養があったのか?
その答えは一つ! 農民でななく「そこそこの出自なのである」
   滅ぼした辻褄が合わないので「貧しい農民だった」ということにしたのである。
      従って、嘘を教えたらダメである!

嘘2.「江戸時代は封建社会で、民は搾取で苦しめられていた」
これは徳川幕府を滅ぼした薩長側が捏造した嘘である」
  江戸時代の初め頃(1600年ごろ)日本の人口は約1,000万人と言われている。
    そして江戸時代の終り頃の人口は約3,500万人である。
       また、当時の江戸(東京)は人口100万人の世界一の大都市であった
         なぜ? 新政府の云う「搾取と圧制」の時代に、人口が3倍以上に増えるのか?
また、今に伝える芸能、芸術、文化は江戸時代に「じっくりと熟成され華開いた」ものである。
  もし、江戸時代が無ければ、今に伝える日本文化があっただろうか?
    江戸時代の民衆は、薩長政府が云うほど酷くはなく、むしろ民衆は楽しんでいたと私は思っている。
      そうでなければ「全国の寺子屋」が約17,000軒もあり、識字率が60~70%もあったことの説明がつかない!
         もちろん、この数字は「世界一の高さ」である。
私は、江戸時代は民衆にとって良い時代であったと思っている。

嘘3.「黄門さんは全国を行脚した」
これも、誰が創ったか知らないが「真っ赤な嘘」である。
  実際には「どこにも行っていない」のである。
     なぜ?水戸光圀をこれほど持ち上げるのか?
        それは「徳川御三家の中に於ける力関係」が大きく影響している。
水戸徳川家は他の二家(尾張と紀伊)と設立時から差が付けられていた。
  いつもいつも、水戸家は「悶々とした時代をおくっていた」のである。
     こんな時は、憂さ晴らしに「一服の清涼剤」が効果的だ!
        そこで創作されたのが「黄門様」の登場である。
           要するに、元から捏造(創作)願望なのである。
「天下の副将軍!」のアドバルーンを上げたかった。
   因みに、当然ながら徳川幕府に「副将軍など存在しない」のである。
     水戸の「鬱憤晴らし」に生まれた、ただの物語である。
        ・・・因みに、小説「竜馬が行く」で作られたフィクションが、いつの間にか「坂本龍馬」になったのと同じだ。

嘘4.「日本の文明と近代化は明治から始まった」
私は、これが日本史で一番の大ウソであると思っている。
  では、明治までは、日本に文明が無かったのか? 文化が無かったのか? 芸能や芸術が無かったのか?
    そんな事は無い!
      1868年の時点で、日本には「世界に冠たる文明と文化があった」のである。
要は、日本人に根ざした独自の文明と文化を完全否定して「西洋の猿真似をした」だけのことだ!
  これを「文明開化」と呼ぶのだから、もう支離滅裂な論理である。
     なぜ?日本文化より西洋文化の方が優れていると言うのだろうか?
        ここでボタンの掛け違いと選択ミスをしたまま突っ走り、そして70年後に戦争で敗れ滅びたのである。
宗教戦争と侵略と略奪と虐殺を基本とした西洋文明が東洋文明より優れていると、捉えた所が間違いの一歩であった。

嘘5.「勝海舟と咸臨丸」
教科書では「・・・勝海舟が咸臨丸に乗ってアメリカに渡った・・」と教える。 しかし、これは真っ赤な嘘である。
   確かに徳川幕府の代表として日本人はアメリカに行った。
      それは、日米修好通商条約の批准書交換のために1860年に派遣した使節団であり、万延元年遣米使節団のことである。
         咸臨丸と、まして勝海舟とも何の関係もない。
            使節団一行77名がアメリカに行ったのはアメリカの「ポーハタン号」に乗せてもらってのことである。

幕府の正使(代表)は新見正興、副使は村垣範正、そして目付が小栗忠順の3名である。
  ・・・咸臨丸と使節団とは何の関係もない!
        なぜ?こんな嘘を教えるのか?
           なぜ?使節団とは何の関係もない勝海舟を代表のように扱って表にだすのか?

確かに勝海舟は咸臨丸に乗った。
   咸臨丸は幕府がオランダから買った船である。・・・練習船のような位置づけ。
     そして咸臨丸には福沢諭吉も乗っている。
        福沢が、この時の勝海舟について書いている。・・・これが実に面白い!
曰く、勝海舟は酷い船酔いで船室に閉じこもり、嵐のために途中寄港したホノルルでは、「俺はここから帰る!」と言って皆を困らせた。
   教科書では勝海舟が颯爽と咸臨丸を操船して太平洋を渡ったように教えているが、これは真っ赤な嘘である!
      実際に咸臨丸を操船したのはアメリカの「ブルック海軍大尉以下、数名のアメリカ人」である。
         ・・・乗り組んだ日本人は、太平洋では「手も足も出なかった」のである。

しかしながら、ここからが勝海舟の凄い所?で、日本に帰った途端に「大ぼらを吹きだした!」のである。
  有ることない事、面白おかしく、ホラを吹くので、すっかり皆が信じてしまった・・・
     要するに勝海舟の本質は「ただの、ほら吹き」である。・・・私が歴史上一番嫌な人間は勝である!

嘘6.「日本国憲法は平和憲法である」
そもそも、これは誰がつきだした嘘であろうか?
  この憲法が作られた時、日本はアメリカを主とした他国軍の占領状態で、そもそも「国としての主権」は、どこにも存在しなかった。
    ・・・昭和21年公布、昭和22年施行
     要するに、戦争に勝った占領軍が「軍政下」バタバタと無理やり作ったものである。
       これを70年経った現在でも「後生大事に」平和憲法と言って「金科玉条の如く」奉っているのが日本である。
         要するにアメリカ(マッカーサー元帥)が作って、押し付けた日本人の「身の丈に合わない服」である。
           ただ、一応、公布したのは日本である・・・

もし、アメリカが考え、平和を愛する理念で作ったものなら、なぜ?そのアメリカが、その後も世界で戦争ばかりしているのか?
  これは大いなる矛盾である!
     つまり、アメリカが思い付きで、しかも短期間で作った文章が、平和を追求する美しいものではない確かな証拠である。
        それにしても、誰がいつ?平和憲法などと言い出したのだろうか?
           しかも、一度この「平和」の言葉が歩き出すと、途中で「廃止」することは難しい!
日本が主権を回復して独立したのは、昭和27年である。
  それまで「約7年間」日本には主権など無かったのである。
     憲法は国が独立状態で、国民の主権で、しかも総意で作るものである。
        お前はおかしい!と云うなら、ぜひ一度「国破れてマッカーサー」と云う本を読んでからにして下さい。
          ・・・これは所謂小説ではなく「アメリカの公開された公文書を訳した記録」である。

まだまだ嘘は多いが次の機会に送る・・・

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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