『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.50 表せないこと

投稿日:2017/05/09 投稿者:大西秀憲

この世の中には客観的に「表せること」と「表せないこと」がある。
表せないことは、いくら努力しても、叡智を絞っても、どうにもならない。
しかし、不思議なことに、市民団体と呼ばれる組織やメディア、また議会などでは、「表せないこと」を真剣に議論している。
   当然、答えは無いので延々と不毛の議論が続くことになる。
       これを時間の無駄遣いと云う。

その例:

①安心
安全には基準(ものさし)があるが、安心には「ものさしは無い」
   従って、「安心の証拠又は根拠を示せ!」と叫んでも、示せる訳がないのである。
なぜ?示せないのか?
   それは、安心と云うのは「こころの問題」だからである。
      ・・・こころに基準など無い。
            それは、一人一人違うのである。
従って、安心と云うものは、時代、環境、状況、心の有り様、等で大きく異なるものなのである。

②誠意
「金の問題じゃないんです・・・誠意を見せてほしいのです!」 ・・・よく聞く言葉である。
   しかし、お金は具体的・客観的に示せるが、誠意は具体的には示せない!
      相手がどうにも示せない事を持ち出して、相手に優位に立ち、より高い譲歩を引き出す時に多用される定番である。
         従って、相手が「誠意を見せろ!」と言い出したら、実に始末が悪いのである。
            どんなに譲歩しても「もっと誠意を見せろ!」の一言で交渉は頓挫する。
「誠意を見せろ!」と叫ぶ、相手のこころには「ものさしが無い」のである。
  ・・・従って、交渉は「エンドレスゲーム」と化す。

③説明責任
最近頓に、「説明責任を果たせ!」と云う言葉をよく聞く。
   実にうまい言葉を考えたものだと思う。  ・・・昔は使わなかった
     人や団体、組織を追求するとき、「説明責任」と云う言葉を使うと「正義を得た」ように勘違いするから不思議だ。
        これは相手を攻撃する場合、追い詰める時に使うと実に便利な言葉である。
説明が十分か?不足か?は、受け取り方の「こころの問題」であるから、極端な場合「一人一人違う」ものである。
   しかし我が国では、これが大流行である!
      上から下まで、いろんな階層で「説明責任を果たせ!」と叫んでいる。
         国会でも叫んでいる輩がいる。
・・・その言葉を聞くと「何となく納得」するから不思議だが、要は「エセ正義感」ぶっているだけのことだ。
      どこまで説明したら十分か?は「ものさしが無い」から際限がないのである!

④こころのケア
何か事件が起きると「こころのケア」というコメントが必ず出てくる。
   ・・・昔は無かった言葉だ
         こころのケアとは一体何なのか?  ・・・私には分からないのである。
こころは脳の中にある。
   従って「脳をケアする!」と云うことになるが、他人が自分の脳をケアすることなど本当にできるのか?
      もし、できると云うなら、それは「マインドコントロール」することにならないか?
         人のこころをコントロールするなど「実に烏滸がましい」事だと私は思う。
            オームの時は、激しくマインドコントロールを非難したのに、場面が異なると「こころのケア」と云う。
               こころに他人が立ち入る善悪は、誰が判断するのだろうか?
簡単に「こころのケア」と言うが、人のこころは実に複雑である。
   散々思い悩んで、苦悩して、のた打ち回って、失敗して、落ち込んで、這い上がって、生きるのが人間だ!

⑤真実が知りたい
何か事件が起きると、決まって「真実が知りたい」と云う言葉が聞こえてくる。
   これは、視聴者(第三者)の情に訴えるには、非常に適切な言葉である。
      しかし、ここでも言葉が交叉している。
「真実」と「事実」は違うのである。
   事実は客観的に掴むことができる。
      しかし、「真実」は中々分からない!  ・・・いくら時間・年月を掛けても、ついに分からない事が多い。
         特に、凶悪事件の犯人の真実は、こころの中にある場合が多いので「永遠に分らない」のである。
永遠に分らない事は、いくら望んでも分らない!

⑥過労死
人間の労働時間と過労死を論じている。
  「〇〇時間」で線を引く決着だが、人間、押しなべて時間で健康が計れる訳がない
      300時間、時間外労働しても「ピリツともしない人も居れば」、10時間でダウンする人もいる。
要は、人間の体は「千差万別」なのである。
   20歳で病気で死ぬ人も居れば、100歳でピンピンしている人もいるのが人間なのである。
      1億2700万人も居るのであるから、仕事が原因で病気になる人も居れば、こころの病気で死ぬ人も居るのである。
こころと身体の問題を、十把一絡げで「100時間」などと、線を引くことなど出来ないと思う。

⑦忖度
本当に久しぶりに聞いた「忖度」という言葉!
   これを国民の代表たる議員が莫大な経費(税金)を使いながら、「恥ずかしげもなく」応酬している、異常な光景!
       何だこれは! なんなんだ!
           もっと重大な政治課題が沢山あるじゃないか!
どうにも説明も不可能で、客観的な事実もなく、法の適用も不可能だから「忖度」なのである!
   なぜなら「忖度」は、こころの問題なのである。
      どこにも具体的・客観的な「ものさし」はなく、これは「こころ」なのである!
従って、十分用心をして、下手を打たないよう、尻尾を捕まれないように周到だから、絶対に証拠なぞ出てこない!
   そんなことは百も承知の上である。
      それくらい出来なければ総理など勤まらない。
しかし、子供も居ないのであるから「嫁のしつけ」ぐらい出来ないのか?

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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