No.81 変なこと、おかしい
今では誰も何とも思わないかも知れないが、いつの間にか、この国全体が「変な色」に染まっている。
出どころ不明の変な色を、ここでは「風潮」と云う。
「変なこと、おかしい」と思うのは正常な感覚だが、しばらく、この風潮に慣れると、何とも思わなくなるから不思議だ。
しかし乍ら、おかしいことは、やはりおかしい!
(因みに「変なこと、おかしい」は3歳の孫がよく発する言葉をパクった)
例えば次の「言葉」が最近多用されているので、皆さんも当然耳にしていると思う。
①AIが〇〇した! AIが人間に勝った! AIが考えた! などのAIと云う言葉、なんじゃこれ?
テレビでも頻繁に使われているが、私はこれを聞く度に強い違和感を覚える。
しきりに「AI=人工知能」が自分でやったように説明している。
少し前までは「コンピューターが・・・」と言っていたが、いつの間にかコンピューターがAIに代わった
はっきりと断言するが「人工知能はこの世に存在しない」し、今後も無い。
その理由は?
そもそも知能は良い方にも悪い方にも働く。 ・・・人間は詐欺をしたり、窃盗したり、人を殺したり、するように。
もし、人間の知能に近い、別の人工知能があるとすれば、その人工知能は「悪い事もするはず」である。
・・・良い事だけをする知能なぞ、絶対におかしいし、作れない。・・・そもそも、それを人工知能とは呼べない。
しかし、今で言う所の人工知能は悪い事はしない、従って「それは人工知能ではない」のである。
今言う所の人工知能はただの「コンピューターのソフトウエア」のことである。
当然、ご存じだろうが、コンピューターが働くのは「プログラム」による。 ・・・絶対に勝手には動かない!
そのプログラムは「すべて人間が作る」のだ。・・・非ノイマン型の電子計算機(コンピュータ)を作る事は、未だ不可能だ
従って、現在言われている「人工知能とは人間のこと」である!!
・・・人が将棋のソフトを作る・・・それを、なぜか?最近、人工知能と呼ぶ。
誰かが、何らかの意図を持って、この言葉を広めているのである。
・・・だから、惑わされてはいけない
② 恋の季節
動物や昆虫、これらを題材としたTVの自然番組などを視ていると、しきりに「恋の季節」と云う言葉が多用されるようになった。
野生動物にも、鳥にも、爬虫類にも、昆虫にも、人間と同じようにこの言葉を使う。
(例えば、「NHKのダーウインが来た」など)
少し前までは、使わなかった。
いつごろから使い始めたのか? 気が付いたら頻繁に使っている。
「おかしいでしょ!」その言葉!
虎だろうが、白鳥だろうが、蝶々だろうが、恋をしているのではない!!・・・それは繁殖期なのだ。
繁殖時期は「発情しているか?いないか?」が重要。 ・・・発情時期は1年に1回とか2回
繁殖は地球上の全ての生物が「種を残す、種を増やす」ために「本能的に行う行為」である。
ただ一つの例外は人間であり、人間だけは繁殖目的以外に「快楽欲=性欲」で行う、これを「恋とか愛」と呼んでいる。
従って、人間には発情の「季節」がない ・・・人間にとって「今その時(つまり1年中いつも)」が季節である。
発情期と云えば分かり易いのに、今流行りの「やさしく言い換える忖度」で「恋の季節」と言っているのだろうか?
それは、一体誰のために、何に遠慮して、言い換えているのか?
・・・そもそも言い出しぺはだれか?
③何々「してあげる」の連発
もともと「〇〇してあげる」の言葉は、「丁寧語、謙譲語」であり、人格に対して使う言葉である。
「犬に餌をあげる」のではなく「犬に餌をやる」が正しい。
「赤ちゃんにミルクをあげる」のではなく、「ミルクを飲ませる」である。
・・・間接的に、第三者が赤ちゃんの親に言う場合は、「ミルクをあげてください」が正しい。
最近、気になって仕方がないのが、この「〇〇してあげる」の多用である。
テレビを視ていると動物や植物に対しても、料理の材料に対しても、その他あらゆる場面で・・・してあげる」の連発だ!
(花の育て方セミナーの女性講師が)「この葉を切ってあげる」とか「水は1週間に一度あげる」と平気で言う不思議さ!
なぜ?花に謙譲語や謙称をしなければならないのか? ・・・視聴者の一部の変質者がクレームをつけるからか?
あるいは「〇〇してあげる」と言っておくと、「いちゃもんをつけられにくい」からか?
昭和時代には無かったことだが、なぜ?こんな間違った言葉を多用するのだろうか?
「耳障りが良いからか? あるいは、優しく聞こえるからか?」、あっという間に社会に広がった、実に不可解である!
「目下言葉と目上言葉」の区別が無茶苦茶になっている。
一番怖いのは、こんなデタラメな言葉の使い方が定着して、いつの間にか当たり前になることである。
・・・例えば、「ヤバイ」(本来はチンピラかヤクザか裏社会の言葉)を、平気で若い女子がしゃべるように・・・
そんな時代だ!と云っても、おかしいことはおかしいのだ!
◎言葉ではないが、こんな風潮もある。
「それは、小説とドラマと事実とフィクションのごちゃ混ぜ」
作家が書いた小説がテレビドラマ化されて放映される、あるいは映画化される。・・・よくある話だ
ああ面白かった!・・・で済めば、どうこう云うことはない
厄介なのは、小説やドラマが「事実の如く独り歩きする」ことである。
つまり、小説=作り話が本当のように扱われる
作り話と事実が、うまく切り分けられれば問題はないが、小説=フィクション=うそ、が本当の様になる事が問題だ!
ご存知遠山の金さんが、普段は長屋に住む自由人で、ある時は「奉行になる」のは痛快な娯楽番組である。
・・・お白洲で、悪人がしらを切ると、「てやんでぇ!」と云いながら、もろ肌脱いで桜吹雪を見せて、一件落着。
そんなことは現実には無い!ことは誰でも知っている。
また、水戸黄門が諸国漫遊して悪代官を成敗する!のは痛快である。
しかし、実際に水戸光圀が諸国を旅したことは皆無で、そんなことはありえないことを、みんな知っている。
・・・ついでに云えば「このお方を何と心得る! 天下の副将軍であらせられるゾ!」と云う啖呵が痛快である!
しかし、当時「副将軍」と云う役職は存在しなかった・・・作り話であることは皆が知っている。
作り話と知っていて、痛快で、単純で、スッとする!から人気番組なのだ。
・・・しかし、茨城空港ができたからと云っても「茨城ー黄門空港」とはしない!
ならば、なぜ?坂本龍馬だけ別扱いし「高知ー龍馬空港」にするのか? これが私には全く分からない!
坂本龍馬が、幕末に日本を動かした中心人物だったように、最近では扱われている。
そんなことはない!龍馬はグラバーの手下である・・・グラバーは上海を本拠地としたイギリスの「武器商人」である。
武器を売って荒稼ぎするため上海から長崎に来た。・・・グラバーの親分は「阿片の」ジャーディ・マセソン。
グラバーはその日本支社長だ! ・・・武器の前は「阿片」で荒稼ぎ!! そのための銀行が、今の「HSBC」である。
そこでグラバーの手足となって武器(軍艦・大砲・小銃・銃弾など)を売りまくったのが龍馬である。
武器商人は、別名「死の商人」として蔑視され、軽蔑された人間である。
・・・因みに、死の商人は、まっとうなビジネス界では「疎まれ、毛嫌いされ、蔑まれる存在」である。
私が不可解なのは、平和教育(=現実逃避)を金科玉条とする日本が、なぜ修学旅行で「グラバー邸」に行くのか?
(今はどうかしらないが、私は修学旅行で行った)
因みに、グラバー邸にはフリーメーソンのモニュメントがある・・・グラバーは、あのフリーメーソンのメンバーであった。
グラバーの手下であった龍馬、なぜ?そんな人間を近年になって「英雄扱い」するのだろうか?
いやいや、龍馬はあの偉大な「船中八策」を作ったじゃないか!と云うかもしれない!!
しかし、あれは「中岡慎太郎」が考えて作ったもので、龍馬はそれをパクっただけである。
・・・パクリはいつの世でもよくない!
龍馬が急浮上した原因は「司馬遼太郎の小説『竜馬が行く』にある」ことは確かだ。
司馬遼太郎は偉大な作家である、龍馬を書いたのはあくまでも「小説」としてである。
実在の坂本龍馬と小説=フィクションの龍馬を区別するため、司馬遼太郎は名前を「竜馬」とした!・・・「龍馬」ではない。
実際、小説が発表されるまでは、坂本龍馬の名前は日本で全くメジャーではなかった。
司馬遼太郎は、坂本龍馬を「痛快な日本男児、つまりヒーロ—」として虚像を創りあげたのである・・・これが爆発的に売れた!
彼は偉大なヒーローだ! 龍馬は薩長同盟を成功させたではないか!と云う人もいるだろう・・・
この薩長同盟が明治維新に繋がったと、作り話が独り歩きしているが、実際の明治維新は「幼い天皇を人質にしたクーデター」だ。
要するに「玉(つまり天皇)を握った側が官軍=正義」となっただけである。
龍馬は、薩摩と長州を仲介したと云うが、実際は両者に対する軍艦と武器(小銃&銃弾)販売(つまり武器商人)が事の本質である。
グラバーから支給される多額の武器販売コミッション料!これを資金に広範囲に旅行と遊行を行った。・・・日本を遊び歩いた!
(小説では、旅費交通費、遊行費、飲食費の出どころは一切触れていないが、多額の資金が必要だったろう)
その金の出どころはどこか? ・・・龍馬の身分は脱藩浪人(要するに無職・住所不定(つまりホームレス)である。
・・・人は腹も減るし、酒も飲むし、宿にも泊まるのである。
のんびりと薩摩方面へ(お龍と)新婚旅行をしたらしいが、その多額の金はどこから出たのか?
なぜか現在、死の商人グラバーと龍馬の関係を隠すが「グラバーや龍馬の本当の姿」が見えたら、誰が都合が悪いのだろうか?
とにかく当時、龍馬の所に行けば「食える!」と云うので、日本の各地から無頼の輩(チンピラ浪人)が長崎に集まってきた。
グラバーから出る金で、30~40人と云われた無頼の徒が、長崎の丸山遊郭で、酒で、遊んだのが亀山社中であり海援隊だ。
やがて来る徳川幕府との内戦で、どちら側にも供給ルートを築き、大量の武器販売で、巨額の利益を得る武器商人グラバー!
戊辰戦争、鳥羽伏見の戦い、上野戦争、北越戦争、会津戦争、函館戦争、など、全ての軍艦・武器・銃弾は外国産。
・・・全て、武器商人からの購入である。
グラバーの忠実な手下の坂本龍馬! 日本の内戦を軍艦・武器で扇動するような動きが、立派な事でしょうか?
どこかの時点で、グラバーと龍馬について「一度冷静・客観的に精査して再評価すべき」だと思う。
ついでに云えば、龍馬が殺されたので、その後はグラバーと岩崎弥太郎が結びついた。・・・岩崎は「三菱」の創業者。
岩崎はグラバーに学び、のちグラバーは三菱の顧問となる。
岩崎は、西南戦争の軍事輸送で大儲けして、現在の三菱財閥の基礎ができた。
それにしても、なぜ空港名まで「高知ー龍馬空港」とするのか? 私には理解できない!
「米子鬼太郎空港」があるじゃないか!と云うかも知れないが、郷土の偉大な漫画家作品のキャラクターであり、これは大賛成だ!
鬼太郎は、郷土の境港市に莫大な経済効果を生んでいる・・・何より、負のイメージが全く無いのがよい。
・・・百歩譲って、もし、空港名に使うなら小説通り「高知ー竜馬空港」ならまだ分かる。
ならば、一カ所だけでは不公平なので、ついでに「羽田ー遠山金さん空港」とか「茨城ー黄門空港」もありだろう。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」のヒーロー「高田屋嘉兵衛」にあやかり「関西ー嘉兵衛空港」もありだ!
もし京都に空港を作ったら、司馬遼太郎の「燃えよ剣」にあやかり「京都ー新撰組空港」か「函館ー土方歳三空港」もありだ。
ただし、そうなると、もう訳が分からなくなる・・・
だから、小説は小説だけの世界にしておくべきなのだ。