『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.80 なぜか教えない『 生きる術(すべ)』

投稿日:2020/08/03 投稿者:大西秀憲

人が「生きるすべ」は次の3点と思っている。
①食料を自主調達する方法を知る。
②困難を乗り越える心得がある。
③万事に工夫する心得がある。
ところが、この肝心な事を学校教育では教えない。

小学校・中学校の義務教育を終え、極自然に高校に進み、これまた自然に大学に進み、そして普通22歳で社会人となる。
進める高校のレベルは、ほぼ小中の成績で決まり、進める大学のレベルは高校のレベルでほぼ決まるのが常識である。
行きたくて行った大学でなくても、卒業すると当然のように「どこかに就職」しなければならない。
その時、どの道を選ぶか? は、ほぼ籍を置いていた大学のレベルで決まる。
この時選んだ道によって、その後の「生活レベル=年収=人生」がほぼ決まる。
つまり、小・中学校の成績で「一生の生活レベル」が決まるのである。
従って親は「必死で教育に金をかける」のだ。
ここまでは現実の話であるが、少しだけ視点を変えて見ると、基本的におかしい!ことに気づく。

「どうやって生きて行くか?=生きるすべ」と云う視点が全くないのだ。
高校や大学では「その人がどうやって生きて行くか?」など、全く教えない。
義務教育の9年間も「良い高校に行く」のが目的の教育なので、ここでも「生きる術」については絶対に教えない。
つまり、小学校から大学卒業までの「16年間の教育」の中では、人の生き方(How to Live)は全く教えないのである!
これはもの凄く不思議で、おかしいことである。
人が親の保護から自立して「一人で生きて行く」ためには、必ず生きるノウハウが必要である!!

「三角形の2辺の和は他の1辺より大きい」このような勉強は、人が生きる(生存)ための術(すべ)とは無縁である。
社会人になると、ほとんどの人は「分数」すら使わない。 ・・・まして三角関数など・・
「生きるすべ」を全く習っていないので、身辺の激変・経済変化・自然災害・天変地異に対して「極めて弱い」のだ。
東大に進む人はごく一部のエリートであり、この人達は「難しい学問が必要」である。
一方、他の多くの人は、難しい学問など不要なのである。 …学問が出来ても「上手に魚が獲れる」訳では無い!
なぜ?(生物としての)人間が生きて行くためのノーハウを教えないのだろうか?
たかだか80~100年生きる!には多くの生きる道=生き方がある、その基本は「これだ!」と云う教育が最も重要だ。

近年、これに逆行した教育が聞こえてくる。

小学生と英語教育: なんで小学生に英語がいるのか?
成長した時に英語を必要とする人は「ほんの一握り」である
したがって、英語が必要な人だけが勉強すればよい
必要もないものを小学生から教える必要はない!
なぜなら、社会人のほとんどの人は一生英語とは縁が無い人生を送る
・・・海外旅行(ツアーなど)で必要!と云うが、その程度の会話は英語とは云わない。

世の中には様々な職業の人達が居るし、様々な階層の人が居る。
人によっては一生、英語など不要の国民が圧倒的に多いのである
・・・「あの人、英語ペラペラらしいよ!」  不思議な事に英語が喋れると「偉く見える」らしい?
冗談じゃないよ! 英語などアメリカに行けば「犬でも分かる」
中・高・大と10年も英語を勉強しているのに、満足に英会話さえ出来ない! ・・・これは問題だ!と云う訳だろう
それで「小学生の内から!」と云うのが理由であると思う。

しかし、それは大きな間違いである。
日本人が英語が(英会話が)できないのは「勉強の仕方が間違っている」からである。
日本の英語教育は「目と手と頭」で教える。 ・・・耳と口を使わないのだ!
「異国語は音」である・・・音である以上「耳で聞く事と口から出す声」が基本であり、何より重要である!
日本の英語教育はここが間違っている。

例えば、昔、中学校の卒業旅行で東京に行った時。
誰かが「あ! 外人さんがおる!」・「先生しゃべってみてえナ!」と云った。
云われた手前、先生(英語教師)は近寄って「何か・・・」したが、我々に「通じなんだ!・・・」と言って誤魔化した。
その程度である! ・・・つまり、実際に通じない英語を教えているたのである
間違った方法では「何年やっても」絶対に普通の英会話はできない!
でも、その程度の英会話と、「一部の人が不可欠な英語力」とは、全くの別物でレベルが違うのである!
一部の人に必要な高度な英語力を12600万人に求めるのが間違っている。

プログラミング教育:
なぜ?小学生にプログラミング教育が要るのか?全く分からない
社会人になって、コンピュータやソフトウエア関係の仕事に就く人は、ごく「限られた人」である。
ほとんどの国民は「一生プログラミングなど縁が無い」のである。
必要な人が必要になった時に勉強したら良いではないか!
ソフトウエアの人が足りない! 外国の人達に負ける! と云うが、それはまた別の問題である。
プログラムを教えるヒマがあるなら、魚の捕り方、鯰やウナギの捕り方、野鳥の捕り方や鶏のさばき方等を教えた方が良い
生きてゆく上で、その方がどれだけ役に立つか!

以下に「そもそも論」を書く:

教育の基本は「読み書きそろばん」、生活の基本は「自己責任」、生存の基本は「食料の自己調達」である!
人間は、生まれてから死ぬまで生きる。 生きるためには食べねばならない。 食べるために食料が要る。
食料を得るために金が要る。
金を得るために労働=仕事をしなければならない。
人は、高い理想や強い使命感だけで、仕事をするのだはない。 ・・・生きるために働くのである!

例えば、食べ物が身の回りにふんだんにあり、衣・住があれば、誰も働かないだろう!
犬を見ていると良く分かる。 餌やおやつが貰える時以外はいつも寝ている。 芸をするのは食べ物が貰えるからである!
時々、ベタベタと「ゴマをスル」のは遊びたいからである。 ・・・それ以外はいつも寝ている。
それは別に怠けている訳では無い。
それが、動物の自然な姿である・・・人間も本来同じだったと思う。

労働に関する考え方は西洋と東洋では異なる。 ・・・それは宗教観からくると思う。
特に日本では「労働と人の道」により、労働を精神面の修養に昇華した」ように想う!
しかし、地球上に生存する人類(今では約80億人)は皆同じ人間だから、本質は同じであり基本的に異なるのはおかしい。
(私はアフリカ・南米には行ったことが無いので、彼らの労働観について分からない)
ヨーロッパの、昔繁栄した国々には何回か行ったので、その労働実態はある程度分かる。
「働いていないナ!」「あくせく動いていないナ!」と正直思う。
日本人は「秒・分単位」で仕事を含め、動く。
一方、彼らは昼間から飲み、食い、昼寝して、のんびりと暮らしているように見える。
ここが「日本人の精神的労働観」と相容れない!
西洋人の方が「より人間の本質に近い生き方」のように私は思ってしまう。・・・なぜなら彼らの歴史は続いているのだから!

せいぜい80~100年の一生
死ねば全てから解放される。
要は「自分が満足した生き方をする」ことである。
みんなが高校・大学に行くから自分も行く。
皆がサラリーマンになるから、自分も会社に入る。
・・・そのための画一的な教育が「小学校」から始まる!  そして何も分からないまま「そのレールに乗る」
一部の極少数の人にとって必要不可欠な「微分・積分、高等数学」、英語、プログラミング
これを、全員に強制する必要が、どこにあるのか??
・・・そんな事を教える位なら「物の作り方」や「売り方」を教えた方が、はるかに役立つ。

洋の東西を問わず、一つ重要な事がある。
それは、自然の恵みを甘受することだ。
自然の恵みは、「四季の食材」である。
本来、人間は「食べ物=食材を自分で調達する」のが基本である。
だから自然(天然)の食べ物を知らねばならない。
ところが、「生きるための最も重要な食べ物を知らない愚かさ」このことすら知らないのである!
繰り返すが、教育の基本は「人間が生きる術(すべ)」を教えることである!
学校教育が教えないのであれば、社会で教えるしかない。

人と同じでなくて良い。

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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