『夢のつれづれに』 - 私の願い -

No.36 科学を茶化すな!

投稿日:2016/03/01 投稿者:大西秀憲

理化学研究所は1917年に設立された100年の歴史を持つ、日本で唯一最高の研究機関である。
この間、実に多くの有名な科学者を輩出し、そして人類にとって偉大な成果を上げてきた。
現在も多くの研究者が、地道に意欲的に研究課題に取組んでいる。

理研に所属する、多くの研究者から見れば「あの騒ぎは一体何だったのか?」と思っているだろう。
実際、騒ぎによって「死者が出て」そして「予算を大幅に削られ」更に「組織まで改変され」ガタガタになった!
  ・・・日本の世界的な頭脳と言われた貴重な研究者を葬り去った。

全て、一人の若い・軽い女が一人で「仕出かした」結果である。
理研の真面目な研究者達は『あの女をズタズタに切り裂いても、未だ足りない思いだろう」と、私は同情する。

実は、私は例の発表のTV会見時から「これは怪しい!」と感じていた。
   ・・・なぜなら、「女の目が浮いていた」のである。
         私が育った在所では、これを「昇った目」と言う。
            この手の目をした人間は、まともな精神状態ではない!
案の定、1ヶ月程で「ボロが出た」ので、案外「世間はまともだ」と思って安心した・・・

そして演技が見破られた後が面白かった。
世間を騒がせた研究者として、何一つ「科学的なエビデンスを出さず」、「泣いて涙で誤魔化した」のである。
   「細胞はあります!200回も成功しました!」と言っただけである。
        「科学者は役者ではない!」

何より悪いのは「科学者として説明責任を果たさず、弁護士に対応を委ねたこと」である。
   ・・・科学と司法を置き換えてはいけない。
そして、疑惑を持たれたら科学者らしく「実験ノート(エビデンス)」を公表して、堂々と科学的に反論すべきである。

しかし、女はそうしなかった。
   ・・・あろうことか!TV会見で「泣いただけ」である!
冗談じゃない! 自分が誤魔化した科学を「お涙頂戴ですりかえた」のである・・・これは演劇の世界である。
  科学を茶化してはいけない! ・・・何が「リケ女」だ。

メディアもメディアだ! 泣いて涙で誤魔化すのを「全く咎めなかった」し、只の一人も叱責する記者はいなかった。
  メディアは女に弱いのか? 涙に弱いのか? ・・・「割烹着に弱い」のか?
     女に対する追求は弱く、そしてその後、女は地下にもぐり、逃げ回った。
これで一件落着かと思ったが、更に続きがあった。

あろうことか!女は「手記」を出版した。 ・・・恥という事を知らないのだろうか?
  手記は自分の都合で自由に書ける。 ・・・つまり、裏付け(真実)など必要ない
    ・・・何でも書けるが、書けば良いというものではない!

おそらく本は結構売れるだろう(興味本位で) ・・・つまり女の手元には、相当な金が転がり込む!
  死んだ人への償いに使うのだろうか? ・・・それならまだ許せる
     しかし、たぶん女は自分のために使うのだろう・・・

手記を書くなとは言わない。
  私が一番腹立たしいのは、「研究ノート」を一切公表せず、手記を出したことである。
    「物の道理と順番が違うだろ!」と言いたいのである。

少なくとも、研究者・科学者のやることでは無いと私は思う。
  不思議なことに、この件でメディアは何も言わない。
     ・・・相手が女だからか?

私は、当事者が「泣いて涙で誤魔化すのは最も卑怯なやり方」だと思っている。
  少なくとも、プロを自負している人間は人前では泣かない
     最近、清原がやっと捕まったが、この男は人前でもよく泣いていた。
        (その程度の精神力しか持っていない未成熟な男だったのである)

その点、「野茂」も「イチロー」も、泣いているのを見たことがない。
  特に野茂は表情も変えない!
    やはり本物である!

モノづくりの原点…それは「人と社会を結ぶ応用技術」

応用技術で暮らしを支えるモノづくりを。
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